夏休みの過ごし方
「御堂さん、ちょっと休憩しませんか?」
コーヒーカップをふたつトレイに乗せて、克哉は執務室に入った。
「家から豆を持ってきたんです。
給湯室のコーヒーメーカーを使って煎れました」
商談用のテーブルにトレイを置きながら、克哉は微笑んだ。
普段から仕事中にコーヒーはよく飲むが、専ら自販機のカップコーヒーだ。
「弁当を作ってきたり、今日の君はまめだな」
「社食は休みだし、周りのお店も閉まってるところが多いし。
たまには気分が変わってよくないですか?」
MGNはお盆休み中だ。
出社している社員はほとんどおらず、電気を落とした本社ビルはがらんとしている。
「私に付き合わず、君は休んでよかったんだぞ」
「いえ。オレも今のうちにやっておきたいことがあったので」
克哉は先日御堂のマンションに越してきたばかりだが、その前からほとんど自分のアパートに帰っていない。
出張などで止むを得ない場合を除いて、ここしばらくずっと御堂と一緒だ。
「それにしても静かですねえ」
執務室のガラス越しに一室の風景を眺めて、克哉はしみじみ言った。
「電話も鳴らないし、来客もないし」
「だから作業がはかどるし、じっくり企画を練るのにもいい」
御堂はデスクから離れると、ブラインドを下ろして克哉の視線を遮った。
「毎年夏休み返上だったんですか?」
「大体な」
振り向こうとした克哉は、御堂が背中にもたれかけてきたので動けなくなった。
互いのカジュアルなシャツは薄く、たちまち体温を伝え合う。
「暑いのはうんざりだし、どこに行っても人は多いし、この時期は会社で働いているのが一番だとずっと思っていた。
だが来年からはちゃんと休むことにしよう」
耳元で囁くので、時々唇が耳朶に触れる。
「…どうしてですか?」
声が震えそうになるのに耐えながら、克哉は訊ねた。
貸切のオフィスでふたり黙々と仕事をするのも、たまには悪くない。
克哉はそう思っていたところだった。
「人のいないオフィスでふたりだけでいると、気が散って効率が悪い」
「え…?」
比較的集中して仕事をしていたつもりの克哉は、一瞬なにを言われたのかわからなかった。
「尤も」
御堂は続ける。
「君が一年に一度、違った環境でしてみたいというなら話は別だが」
「……!」
思わず喉が鳴りそうになった。
ようやくわかった。御堂が言わんとしていることが。
意識すると、見慣れた執務室の風景が特別な空間のように見えてくる。
そういえば前にここで悪戯されたことがあった。
あのときはドア一枚を隔てて人が大勢働いていたが、今は誰もいない。
「やっぱり…」
「やっぱり?」
コーヒーを飲んでいるのに、どうしてこんなに喉が渇くのだろう。
「やっぱり、ちゃんと休みは取りましょう…」
言い終わらないうちに、御堂の両腕が克哉の首にまわってきた。
ふわりと香るフレグランスを、精一杯吸い込む。
「今すぐ帰るか?」
頬ずりするように煽りながらする質問ではない。
「それとも、一年に一度、違った環境でしてみるか?」
欲望にたゆたいながら、克哉は目を閉じた。
「こ、」
「こ?」
「今年、だけ」
喉の奥で笑う御堂の声に、全身が震える。
「御堂さん、好き…」
押し倒されているのか、自分が引き寄せているのか、最早わからない。
「少しだけ待て。鍵をかけてくる。そのあいだに来年はどう過ごしたいか考えておけ」
来年の夏も、この意地悪な男と一緒なのだ。
抱えきれないほどの幸せに気が遠くなるのに、克哉は逆らわなかった。