恋人たちの願い事
残業を終えてマンションに戻ると、窓辺に見慣れないものがあった。
申し訳程度の飾りがついた、ひょろりとした笹だ。
「あ、それはですね」
リビングで足を止めた御堂に気づいたのか、克哉がキッチンから出てきた。
「七夕の笹なんですけど」
「見ればわかる」
「帰りにドラッグストアに寄ったらくれたんです。 ほんとは子ども対象のプレゼントらしいんですけど、キクチにいたとき担当していた店だったんで、店長がどうぞ、って」
どうぞと言われて嬉しそうに受け取る克哉を想像して、御堂は眉間に皺を寄せた。
理由がなんであれ、克哉の笑顔がほかのものに向けられるのは面白くない。
「え、と、あの。邪魔でしたら明日帰るとき、持っていきますから」
「明日、帰るのか」
「最近急に暑くなったし。部屋に風通しておいたほうがいいかな、と思って」
御堂が黙っているので、克哉はおろおろし始めた。
自分の細かな反応に、いちいち気を使わなくてもいい、と思う。
御堂はただ、克哉は明日帰っても、またすぐここに戻ってくるつもりなのかどうか。
戻ってくるのは当然だとしても、一緒にいられる時間を削ってまで戻る必要はないだろう、とか、そんなことを思っているだけだ。
言葉にして伝えられれば克哉を萎縮させることもないのだろうが、出来ないものは仕方がない。
肩を掴んで引き寄せると、髪に手を突っ込んで抱きしめた。
「え、あ…御堂さん?」
「別にいい」
「え?」
「笹のことだ」
克哉が目をぱちぱちさせて、文字通り目まぐるしく考えているのがわかる。
笹がそのままでよくて、先程の御堂の態度で、今抱きしめられていて、克哉はそれらをつなぎ合わせて御堂の感情を読み解く。
「…はい。明日帰るのも止めにします」
ややあって、小さく呟くと、克哉も御堂の背中に腕をまわしてきた。
自分はかなり面倒な人間ではないか、と御堂は克哉と付き合いだしてから思うようになった。
克哉が先回りして人の気持ちを汲み取ろうとする性格ゆえに、尚更だ。
そうでなくとも年もやや離れているし、社会的立場も上の恋人というのは、気疲れする存在ではないのだろうか。
睨むように見つめていると、克哉は困ったように笑いながら見つめ返してきた。
克哉に受け入れられている、と感じる瞬間だ。
「はい、どうぞ」
食事のあとの片付けを終えた克哉は、御堂の前に長方形の紙切れを置いた。
「短冊です。願い事を書く」
ご丁寧にペンまで添えられたそれを、御堂は呆れた面持ちで見た。
「君は毎年こんなことをしているのか?」
「まさか。笹についてきたんです。ないですか? 願い事」
「…ないな」
少なくとも短冊に書くようなことは。
ですよねえ、と御堂の向かいの椅子に座りながら、克哉は笑った。
翌日七月七日は曇りだった。
先にバスルームから出た御堂は、ベランダから灰色の雲が覆う夜空を眺めた。
一晩でも離れていれば会いたくてたまらなくなる自分には、一年に一度の逢瀬が天候次第で叶わないなど許しがたいだろうと、埒もないことを考える。
そしてふと、窓辺にもたせかけてあった笹に目を留めた。
色紙で作られた笹飾りに隠すように、短冊がつけられている。
こんなものは昨日はなかったはずだ。
見えるように手に取ると、願い事が書いてあった。
この幸せがずっと続きますように 克哉
不意打ちをくらって、御堂は短冊に手をかけたまま動けなくなった。
一気に上がった心拍数と、顔に昇った血をどうにも出来ない。
「…まったく、君は」
声にすれば落ち着くかと思ったが、甘ったるい感情に益々支配される結果となった。
どうしてこうまで克哉に翻弄されるのか。
出ない答えを求める無駄な努力はとっくに放棄して、代わりに御堂は克哉を得た。
「これ以上好きにさせてどうするつもりだ」
苦笑交じりにもう一度呟いた。
いつもの克哉の文字よりやや小さく、しかししっかりと書かれた願い事をしばらく眺めたあと、御堂はペンを取ってきて、克哉の名前の隣に自分の名を書き添えた。