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羨哥哥が迎えに来るまでここにいるんだよ。絶対外に出てはいけないよ。
おばあさんに何度も言われて、阿苑は隠れていた。
でもみんなどこに行ったのだろう。
どうしてこんなに静かなのだろう。
羨哥哥はいつ来てくれるの?
膝を抱えて阿苑は声を殺して泣いた。誰にも見つかってはいけないから。
力強い足音がした。
羨哥哥?
顔を上げると、知らない男の人が目の前にいた。
その瞬間、意識が切り替わった。
「江宗主」
幼い子どもに回りきらない舌でそう呼ばれて、江宗主は戸惑ったようだった。
「私です。藍思追です。見つけてくださり、ありがとうございます」
姿に合わない落ち着きで、藍思追は立ち上がると頬をつたっていた涙を手の甲で拭った。
礼を取ろうとして止められる。
「その姿でよせ。不夜天に向かうぞ」
「はい。よろしくお願いします」
眠る藍景儀にまたがり両手を重ねていた魏無羨は、ふうっと息を吐いた。
「江澄が阿苑を見つけた。俺もあちらへ行く。金凌。おまえはそのまま集中していろ。俺が呼ぶのを聞き逃すなよ」
寝台を囲むように江澄、藍思追、金凌が座禅を組んでいて、そのうち金凌の意識だけがまだこちら側にある。返事をしないくらい深く意識を沈めているのを確認して、魏無羨は目を閉じたまま傍で見守る藍忘機に言った。
「じゃあ、行ってくるよ」
寝台の枕元に置かれた香炉から出る煙が、風もないのにゆらりと揺れた。
目を開けて、魏無羨はどこにいるかを確認した。
荒野だ。
この世界の自分の感情がまだ残っていて、異様に興奮しているのを感じ気を落ち着かせる。不夜天に向かうところに意識を合わせたはずで、うまくいったようだ。周りには誰もいない。
かつて自分はこのまま決起大会に乗り込んだのだが、今回は人目につかないところに隠れた。阿苑の保護のため乱葬崗から雲深不知処に寄る必要がなくなった藍忘機は、もうすぐここを通るはずだ。
殺されたみんなは、自分にこんなふうに身を潜めたあと遠くへ逃げてほしかったのだろう。阿苑と一緒に。
みんなを見ることに耐えられないので、このときを選んで意識を移した。
「景儀のやつ、よりにもよってこんな時代に閉じ込められやがって」
ここに来た目的を忘れないためにあえて藍景儀の名を口にしたとき、人の気配がした。
「魏嬰?」
「藍湛」
こんなところにいるとは思っていなかったのだろう。藍忘機の表情には驚きと安堵が混じり合っていた。
「藍湛。あのな。俺の話を聞いてくれ」
魏無羨に腕を掴まれ、藍忘機は一瞬からだを引きかけたがすぐとどまった。
ああ、そうか。この頃はいきなり触れたりはしなかった。と、魏無羨は思い出した。
いきなりどころか、一定以上に近づかないよう注意していた。金丹がなく霊力がほとんどないことを知られるのが怖かったし、道は分たれたと思っていたからだ。
おまえがどれほど俺のことを思ってくれていたか、今の俺は知っていると言ってやりたかったが、そんな時間はない。
だから魏無羨は必要なことだけを伝えた。
この世界は邪祟の影響である一時期が再現されたもので、現実ではないこと。
将来藍忘機が指導する藍景儀がこの世界に閉じ込められていること。
自分はこの時代より何年も先から藍景儀を助けるために来たこと。
目を逸らさずに一気に言うと、藍忘機はしばらく黙ったのちこう言った。
「魏嬰。気がふれたか」
魏無羨と藍忘機はしばらく見つめ合った。
「……な。そう思うよな」
ほら見ろ、藍湛。俺が正しかっただろ、とぶつぶつ言う。
「魏嬰。姑蘇に帰ろう。私が隠す」
「隠す? いや、それはちょっと。いやいや、突飛なことを言っているのはわかっているが、俺は正気だ。藍湛。ここは俺にとっては過ぎた出来事の世界なんだ」
「魏嬰」
「頼む。信じてくれ。未来のおまえが、おまえは絶対俺に協力するって言ったんだよ」
藍忘機の表情が少し動いた。
「未来の私、は、おまえと共にいるのか」
魏無羨は頷く。
「いる。ずっと一緒だ」
「証拠は」
「あ?」
「証拠を示せ。おまえが未来から来たという」
「あー、うん、証拠か。いるよな、当然。さすがは含光君。堅実だ」
証拠、証拠、と口のなかで唱えるあいだも腕は掴んだままだ。
ぱっと顔を上げると魏無羨は言った。
「忘羨」
藍忘機が身じろぎした。
「なんのことだかわかるだろ。おまえが作ったおまえと俺の曲の名だ」
「玄武洞でおまえに問われ、私はその名を教えた」
「……え?」
「教えた」
「……悪い。それは俺には聞こえていなかった。俺が教えてもらったのはもっとずっとあと、おまえにとってはこの先の出来事だ。ということは、ほかに証拠がいるのか?」
藍忘機はゆっくりと口を開いた。
「ここがおまえにとって過去ならば、おまえはこの先自分がどうなるか知っているのか」
「死ぬ」
藍忘機が驚くというより傷ついた顔をした。
「さっきも言ったが、いろいろあって今はおまえといるし幸せだ。なあ、藍湛。別に協力しなくてもいいから、雲深不知処に戻ってくれ」
腕を掴んでいた手を離した。
「景儀を助けたら、俺はこの世界を消す。でも目の前のおまえを消したくはない」
藍忘機は反対側の手で魏無羨の腕を掴んだ。
「この身が幻ならば、それが必然」
「藍湛」
魏無羨は胸がいっぱいになった。
「信じるのか」
藍忘機は頷いた。
あの頃の藍忘機は、魏無羨に向けてこんなに切羽詰まった目をしていたのだ。
「私に、おまえのためにできることをさせよ」
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