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藍忘機と魏無羨の道侶の儀式とお披露目が終わったあともしばらく、仙門のみならず市井の人々もその話を好んでした。
祝いに来る者や品が届くのがひと段落し雲深不知処が静けさを取り戻したのは、季節がふたつほど変わる頃だった。
お披露目は四大世家が健在であることと、若い世代が台頭していることを示す場でもあったので、若いひとりである藍景儀はそのあとも忙しくしていた。
年少の門弟の指導をしたり、宗主から用事を言いつかり他家に出向いたりしながらも、できる限りほかの者に譲りたくない役目があった。
含光君のうさぎと魏無羨のロバの世話だ。
雲深不知処にあんなにたくさんうさぎがいて、しかも含光君のうさぎだということを、藍景儀はロバのりんごちゃんが来るまで知らなかった。
魏無羨が何者なのかまだ知らなかった頃、りんごちゃんを馬屋につなごうとすると兄弟子たちに嫌な顔をされ、それならばと藍思追が教えてくれたのがうさぎたちのいる場所だった。

「いてっ」
藍景儀が桶いっぱいのにんじんとりんごを持って行くと、魏無羨が抱き上げたうさぎに指を噛まれていた。
「なにしてるんだ」
「お、景儀か。こいつひどいんだぞ。俺がなにもしていないのに噛んだんだ」
「あんたは雑なんだよ」
にんじんのおけを地面に置くと、うさぎたちが藍景儀の足元に集まった。
ロバが鳴くのに、おまえのはこっち、とりんごの桶からひとつ投げてやる。
「なんだよ。結局こいつらは飯をくれるやつが好きなんだな」
「そりゃそうだろ」
言っているそばから魏無羨はりんごをロバの鼻先にちらつかせてからかっている。
軽口を叩きながら、藍景儀はほっとしていた。
魏無羨は上質ではあるが動きやすい服を着ていて、先日の道侶の儀式の前とまったく態度も変わらなかった。
儀式のときの魏無羨は美しく厳かで、もしこれからさきずっとああいう感じでいるのならもう気軽に近寄れないなと思ったのだ。
「あんた、こんなとこで遊んでいていいのか?」
「俺は健やかでいることが仕事だそうだぞ」
ぬけぬけとよく言うが、含光君が本気でそう言っているのであろうことを既に藍景儀は知っていた。
「おまえもうさぎの餌やりなんて、さぼりか?」
「はあ? 含光君のうさぎのお世話は名誉ある仕事なんだぞ」
「まあまあ。ここに座って俺と一緒にひなたぼっこしよう」
にやにや笑う魏無羨に憤慨しつつ、藍景儀は魏無羨の隣に座った。
「おまえのような奴は俺の若い頃には藍氏にいなかったぞ」
「言っておくがさぼってないからな。自分が正しいと思うならば自分らしくあった上で家規を守れと、俺は含光君に教わったんだ」
「へえ」
「優等生は思追に任せておけばいいし」
ふうん、と魏無羨は真顔になった。
「おまえは思追のこと、本当にいいのか?」
なにを聞かれているか藍景儀は理解した。
お披露目以降、藍氏の序列のなかに藍忘機の道侶として魏無羨が入り、宗主の後継が入る位置に藍思追が入った。
「そんなこと俺がどうこう言うことじゃないだろ」
「そりゃそうだが、納得できるとかできないとかはあるだろ」
藍景儀は呆れた。
「俺が本心では思追に嫉妬してると思ってるのか?」
「いいや」
魏無羨は微笑んだ。
「おまえはそんなやつじゃない。でも、なんでも当たり前みたいに決まるのはそうじゃないだろ」
ふん、と藍景儀は鼻を鳴らした。
「思追は昔から含光君の秘蔵っ子だったから、いずれそうなると思っていた。あいつの生まれがどこであっても別に関係ない」
「知ってるのか」
「聞いた。本人から」
魏無羨は肩をどんと藍景儀の肩にぶつけてきた。
「おまえ、いいやつだな」
「だろ?」
「ああ、すごくいいやつだ」
藍氏はあまり褒めたりしないので藍景儀は照れ臭くなった。
「そろそろ行かないと」
そそくさと立ちあがろうとした足元にうさぎが一羽跳んできた。
「わっ!」
踏まないようによけたら足がもつれた。
「景儀!」
魏無羨の伸ばした腕が間に合わず、藍景儀は仰向けにひっくり返った。

 
 

「いってえ」
強か打った後頭部を撫でながら藍景儀は起き上がった。
「あれ? 魏先輩?」
辺りを見渡したが魏無羨の姿がない。
気まぐれな人だからどこかに行ってしまったのだろうが。
「俺がひっくり返ってるあいだにいなくなるなんて」
ぶつくさ言いながらうさぎの餌箱を持って行こうとしたが、それもない。
ふと違和感を覚えた。
さきほどまでと周りの空気が違う。具体的には気温が違った。寒い。
若草が茂っていた地面にはところどころ雪が積もっている。
「もうすっかり冬だね、景儀」
いつのまに来たのか、思追がいたが、彼もなにか違う。
物事は鋭く観察しろというのは魏先輩の教えだ。
藍思追は藍景儀の思っているよりわずかに幼い姿をしていた。
「思追、これは」
「ん?」
首を傾げかけた藍思追は、慌てて手を前に出して礼を取った。
「含光君、おはようございます」
おはよう? だったら時間も違う。さっきまで昼過ぎだった。
少し高い位置にいる含光君に藍景儀も礼を取り顔を上げた。
「含光君、どうかされましたか。お元気がないようですが」
含光君はほんのわずか驚いたような様子を見せ、藍思追が慌てて藍景儀の袖を引っ張った。
「景儀! 含光君にそんなことを言うなんて!」
「え?」
このくらい普通だ。含光君は藍景儀が思ったままをを口にするのに言葉で返すことは少ないが、咎めたりはしない。
あれ? とまた思った。
いや、違う。前はそうではなかった。
以前はたいしたことでもないのに含光君に話しかけるなど恐れ多く、含光君も受け付ける雰囲気ではなかった。
いつからそうではなくなったのか。
魏先輩が現れてからだ。
魏先輩が隣に立つようになってから、含光君は変わった。
「思追。魏先輩は?」
「誰?」
「魏先輩だよ」
おかしい。聞き返す距離ではない。
足音など立てない含光君の靴が地面を乱暴に動く音がして、驚いた藍景儀は藍思追に向けていた顔を含光君に向けた。
含光君は魏無羨に関することににだけ見せる逼迫した表情をしていて、その瞬間藍景儀は察した。
これは少し前の世界で、このときははまだ魏先輩は戻ってきてないのだ。
藍景儀がなにか言おうとしたとき目の前が霞んだ。
含光君。魏先輩は帰ってきます。帰ってきてあなたと共に雲深不知処にいます。
藍景儀はそう言いたかったが、口がぱくぱく動くだけだった。

「藍景儀!」
魏先輩の魂のこもった声が藍景儀を目覚めさせた。
「よかった。気がついた」
藍思追の顔が真上にあるので、自分は横たわっていると藍景儀は理解する。
「あなたは転んで頭を打ったあと魏先輩に治療室に運んでいただいて、しばらく眠ったままだったんですよ」
藍景儀は顔をしかめた。
「思追。言い方があるだろう。それでは俺が間抜けみたいじゃないか」
後頭部を手で押さえて寝台の上に起き上がると、魏無羨が腰に手をあて上半身を折って顔を覗き込んできた。
「大丈夫か、おまえ。でっかいタンコブ以外なにもないのに、うんともすんとも言わないから慌てたぞ。藍湛に見てもらってもなんともないって言うし」
「含光君?」
藍景儀が慌てて首をめぐらせると、魏無羨の隣に含光君がいる。
「そのままで」
含光君が少し右手を動かして寝台から降りようとする藍景儀を止め、その顔を藍景儀はじっと見つめてしまった。
「景儀? どうかしましたか? 含光君になにか伝えたいことでも?」
藍思追は心配そうに問うてくるだけで不作法だと咎めないし、含光君も穏やかだ。
「あ、いや。魏先輩はずっと雲深不知処にいるよな?」
俺? と魏無羨は首を傾げる。
「さっきまで魏先輩がここにはいなくて、思追も魏先輩のことを知らなくて」
「おまえ、やっぱりもう少し寝てたほうがいいんじゃないか?」
藍思追が手を打った。
「そういえば景儀は前にも転んで頭を打ったことがありましたね。そのとき含光君もいらっしゃいましたが、覚えておられませんか?」
含光君は頷き、
「忘れていたが、思い出した」
と言い、それから藍景儀と目を合わせた。
「おまえの言ったとおりになった」
藍景儀ははっとした。さっきのが夢なのかなんなのかわからないが、魏先輩は帰ってくると叫んだ声は含光君に届いていたのだ。
「思追、あとを任せる」
「はい。含光君」
藍思追は礼を取り、含光君は魏無羨を促し戸口に向かった。
「藍湛。景儀の言ったとおりってなんだ?」
魏無羨の問いに対する含光君の答えは聞こえてこない。
「藍湛。教えてくれてもいいだろう」
なあなあ、藍湛。なあってば。
声はだんだん遠ざかっていった。
阿苑と
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Posted by ありす南水