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魏無羨は温寧の住まいからロバと雲深不知処に戻る途中、沢蕪君と出会った。
「沢蕪君。あれ、このあたりになにか用ですか?」
言いながら、そんなはずはないと気がつく。
「もしかして、俺?」
自分を指差す魏無羨に、微笑んだまま沢蕪君は言った。
「君がいなくなったというので忘機が探しに行こうとしたのだが、あいにく来客でね」
魏無羨はひきつりながら笑った。
「あ、はは。藍湛に言って行こうかと思ったんですけど、お客さんが列を作って待ってたから。えーと。騒ぎになってます?」
「少しね」
「啓仁先生、怒ってます?」
「いや。衣装合わせが嫌になったのだろう? 叔父上も少し時間をかけすぎているのではないかと思っていたようだ」
魏無羨は胸を撫で下ろした。
「あのう。あれはいつまでやるんですか?」
「藍氏で慶事は久しぶりだからね。職人の話ではもうほとんど終わったということだが、実は江宗主とも相談の上、私が特に念入りにと指示をしていたのだ」
「江澄?」
沢蕪君は頷いた。
「君には誰もが一度見たら忘れない、美しい姿を披露してもらおうと」
魏無羨はゆっくりと瞬きした。
「あの、沢蕪君? 俺は自分の見た目がそんなに悪いとは思っていないが、正直言えばそこそこ良いと思っているが、そんな絶世の美女のようなことを期待されるほどでは?」
藍湛ならともかく、と付け加える。
「大丈夫。問題ない」
「え? いや、あの」
「だが装束と装飾品は最高のものを身につけてもらう必要はある」
「なんのために?」
藍氏の対面を言うなら魏無羨を迎える時点でふさわしくないし、それは見かけの印象でどうこうできるものではない。
沢蕪君は笑みを深くした。
「私は君のその聡いところをとてもよいと思っているよ」
「はあ」
「夷陵老祖討伐の決起大会での君の印象を薄れさせたい」
魏無羨ははっとした。
あのとき沢蕪君は不夜天にいた。
「さて、なんと言えばいいのだろう。年月が経った今思い出せるのは、この世のものとは思えない美しさを湛え、笛を奏でる君の姿だ。私や江宗主にとっては痛ましい記憶だが、畏怖と共に覚えている者もまだ多くいる」
あの美しさを凌ぐ姿でみなの前に立ち、魏無羨は藍忘機の道侶であると仙門百家に宣言させたい。
それが私と江宗主の考えだ。
と、沢蕪君は言った。
戻ると藍忘機はまだ人と会っていた。
「藍湛」
そっと顔を覗かせると、座って客人の話を聞いていた藍忘機はぱっと顔を上げ「失礼」と客人に断りを入れるや立ち上がり魏無羨の元に来た。
「魏嬰」
両腕を強く掴まれた。
「温寧のところに行ってたんだ」
「嫌になったのかと」
「衣装のことなら沢蕪君から話を聞いたよ」
「そうではなく」
「なく?」
「儀式を嫌になったのかと」
魏無羨は少しだけ考えてから笑った。
「そんなことあるわけないだろ。先に静室に帰ってるな」
「私もすぐ戻る」
「待ってるよ」
ふたりがもうすぐ道侶の儀式をするのは公表されているから客人も知っているはずだが、実際一緒にいるのを見ると好奇心が疼くらしい。振り返りたいのを我慢して耳をそばだてている客人に、魏無羨は礼を取って邪魔をした非礼を詫びた。
誰からも誹りを受けないというのは無理な話だが、それでも藍忘機の道侶として見栄えがするように、着たり脱いだりうんざりするあの作業をもう少し我慢しようと魏無羨は思った。
翌日、朝から衣装合わせの部屋に行くと、町から来ている職人に謝られた。
「長年藍家のみなさまのお着物を仕立てさせていただいておりますが、一族の方とは雰囲気の違う方に予算の制限なく新たにお召し物を一生分お作りするという、職人としてこれ以上ない役目を言いつかりつい浮かれてしまい、あなたさまにご負担をかけてしまいました」
自分はやはり遊ばれていたのか、と魏無羨は遠くを見た。
予算の制限がないとか、一生分の衣装とかは初めて聞いた。
「あー、まあ、あんたも俺を仙門一の美姫並に仕立て上げろとか無理難題を押し付けられて、ご苦労なこった」
職人は両手を握りしめた。
「まったく無理ではありません。いえ、お話を伺ったときは絶対無理だと思いましたが、お目にかかって不可能ではないと確信いたしました。信じられないので何度も測りましたが、その腰の細さ! 素晴らしいです!」
この場に藍忘機がいなくて命拾いをしたことを職人は知らないし、魏無羨も知らない。
「わたくしどもは白い着物を扱うことがほとんどですので、今回江氏から贈られた雲夢の黒い反物も非常に興味深く、ただ染めているだけではなく、いろんな色を複雑に絡めて織り上げられていて非常に勉強になりますし、これを仕立てるのが楽しくてなりません」
師姉の顔が魏無羨の脳裏に浮かんだ。
もうずっと昔。懐かしい蓮花塢で、魏無羨は師姉に自分の衣服と装飾品の格を江澄より落としてほしいと頼んだことがある。
江楓眠は実子と引き取った子と、持ち物で差をつけるようなことはしなかったし、虞夫人もこのことに関して夫の方針に反対しなかった。
それなのに、下僕に見えるようにという魏無羨の希望に師姉は困った顔をした。
江澄とどちらが江宗主の息子かわからないと揶揄する声を、師姉も聞いていたはずだ。
結果として、魏無羨の服の色は黒くなった。
「黒は控えめだから、阿羨のご要望通りよ」
変わったのが色だけであることを魏無羨が知ったのは、江家を離れて乱葬崗で温情たちと暮らし始めたときだった。
夷陵の町でそれまで着ていた服を売るとたいそう高く売れた。
目元が熱くなって、魏無羨は目を固く閉じた。
早朝から始まった儀式を終えた魏無羨は、午後から始まる仙門百家のお披露目までのあいだ控えの間にいて、金凌が江澄と入っていくと、座ると衣装に皺が寄るという理由で部屋の真ん中に突っ立っていた。
神妙な面持ちだった魏無羨はふたりを見て笑顔になり、江澄は短く、しかし満足そうに「うむ」と言い、金凌はぽかんと口を開けた。
「誰?」
「いや、俺だろ、俺。魏無羨」
「そんなことはわかってる。化けすぎだろって言ってるんだ」
「金凌。余計なことを言うな。魏無羨。おまえは喋ると台無しになるから黙っていろ」
へーへー、と魏無羨は両の手のひらをを上にした。
「藍忘機は」
「もうすぐ来る」
江澄は随弁を魏無羨に差し出した。
「陳情と一緒に見えるところに佩け。魏無羨は正道に立ち戻ったと世に知らしめろ」
魏無羨は隋弁を右手に握ったまましばらく見つめ、帯に差した。
「ついでに破門も解いてやる」
「えっ」
「おまえが簡単に捨てたものだ。だから俺も簡単に拾ってやる」
「えっ、えっ」
「ここが嫌になれば蓮花塢に帰ってこい」
もっと素直な言い方をすればいいのに、と金凌が思っていると、藍忘機が現れた。
「そのようなことは未来永劫ないし、雲深不知処で騒ぐな。江晩吟」
「藍氏の家規など知ったことか」
江澄と藍忘機があてこすりながら今日の具体的な打ち合わせをしているあいだに、金凌は少し声を落として魏無羨に訊ねた。
「おまえのその姿、あいつには見せたのか」
「あいつって?」
わかっていて聞き返したようなので、金凌は顔をしかめた。
「怒るなよ。温寧には儀式の直前に見せた」
「雲深不知処に来たのか?」
「こっそりな」
それは見て見ぬふりというものだろう。
そのうち普通に出入りするようになるのではないかと思ったが、それもまたよかろう。
「聶宗主、ご到着になられました。雅室にてお待ちです」
藍景儀が告げ、藍思追と一緒に礼を取って入ってきた。
ふたりとも彼らの年齢では最高の位を表す儀式用の特別な装束を身につけている。
「魏先輩。失礼します」
藍思追が魏無羨の衣の裾に手をかけた。衣裳をもっとも見栄えがするよう整えるための介添えが、今日の藍思追の役目だった。
「魏無羨。裾を踏んで公衆の面前ですっ転ぶなよ」
「誰がすっ転ぶかよ」
江澄の注意にすかさず魏無羨の軽口が応える。
藍忘機が魏無羨と並んで手を取った。
今日は佳き日だと金凌は思った。
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