未来はまだ霧のなか

 オープニグセレモニーを終えて綾薙祭の裏方で校舎を走り回っていた星谷は、一般客と思われる男性に声をかけられた。
「君、朝のステージに出ていた子だよね?」
 綾薙の講師のなかにもいるので、男の独特の雰囲気から業界関係者だと星谷にもわかった。
「とてもよかったよ。どこか事務所に入ってる? 私はこういう者なんだが」
 男が上着のポケットから名刺を出しかけたところで、柔らかいがきっぱりとした声が割って入った。
「申し訳ありませんが、学園内での生徒へのスカウトは禁じられています」
 ちょうど階段を上がってきたのか、鳳がそこにいた。
「誰だね、君は」
「ここの卒業生で彼の先輩です。生徒へのアプローチは学園を通じてお願いします」
 星谷を男から隠すように、鳳はあいだに立った。
「君、私のことを知らないのかね」
「どなたであっても規則は規則ですので」
 鳳先輩が柊先輩のようなことを言っている、と星谷は鳳の背中を見ながら思った。
 あ、いたいた、先生ー、とスーツを着た男が走ってきた。
「いなくなっちゃわないでくださいよー。あれ、どうかしましたか?」
 ふん、と男は鼻を鳴らして立ち去った。
「あの、先輩」
 一呼吸置いてから鳳は振り返った。
「今の人、知ってる?」
「いえ」
 鳳は名を言ったが、星谷は知らなかった。
 有名な脚本家だと鳳は言い、代表作だというテレビドラマのタイトルを聞くと星谷も見たことがあった。
「ごめんね」
「え?」
「名刺、もらいたかった?」
 星谷は慌てて首を横に振った。
 学園内でスカウト行為を受けないこと。制服を着ている生徒には外でもスカウトしないのが業界内のルールであることなどは、一年のときに教師から説明を受けている。
「助かりました。突然だったんで、オレ、びっくりして」
「今日はいろんな人が来ているからね」
 話しながら校舎の外に出たところで那雪と出くわした。
「星谷くん。戻ってこないからどうしたのかと思ったら鳳先輩といたの」
「あ、ごめん! そうだ、戻らなくちゃだったんだ!」
 鳳にも謝って、星谷は裏方の仕事に戻った。

 

「ということがあってさ」
 大学構内のカフェで鳳は説明した。
 柊がコーヒーカップをソーサーに戻す。
「辰己くんからも聞いています。後日学園側に連絡があって、星谷くんを学園ドラマにキャスティングしたいと言ってきたとか」
「それはすごいデース!」
 柊は楪に視線を向けた。
「星谷くんは断ったそうですよ。自分はミュージカルがしたいと」
 ほう、と漣が少し感心したように言ってから付け加えた。
「だが、まずはデビューしてそれから希望に挑むチャンスを待つ、という道もあったのでは?」
 鳳が答えた。
「そこは天花寺や月皇がアドバイスしたらしいよ。件の脚本家は一度気に入ると自作に必ず呼ぶから、役者としては成功への近道でもミュージカルへの道は遠くなるって」
 天花寺は既に芸能界にいるし、月皇は家庭環境から身近だ。
「ムズカシイデース」
「だよね」
 それで進路について考えた星谷が大学のことを聞いてきたので、見学する? と持ちかけたのだと鳳が言った。
「はあ? 君が誘っておいて、自分は都合が悪くなったからって案内を僕に押し付けたのか」
 暁がもっともな理由で怒る。
「いやあ、人数も多くなっちゃったし、せっかく来るつもりになってるところを悪いじゃない」
「君が悪いと思うポイントはズレている!」
「まあまあ。すっごい楽しかったって言ってたよ? 暁の話を聞いて劇団にも興味を持ったみたいで、今度は劇団を見学するって。双葉先輩と早乙女先輩が案内してくれるらしい」
 なぜ先輩方が? と漣が問う。
「ハロウィンパーティで仲良くなったんだって」
 かつて自分たちが驚かされたことを思い出したのか、楪が辟易したような声を出した。

 鳳と柊だけが次の時間休講になっていてカフェに残った。
 君は、と柊が口を開いた。
「星谷くんが断ってくれて、ほっとしているのでは?」
 鳳は首をすくめる。
「ミュージカル学科に在籍していても、ミュージカル俳優を目指す生徒ばかりではないですからね。でも君は彼にその道に進んでもらいたいのでしょう」
「どうだろうね」
 はぐらかす。
「でも、そうだね。もし星谷が今デビューしたら、三年の実地研修はそこに全振りになるだろうし、そうしたら登校自体も少なくなるだろうし」
「華桜会の仕事は無理ですね」
 鳳は柊の顔を見た。
「なにを驚いているのですか。そういうことでしょう? 君は星谷くんに華桜会に入ってもらいたい」
「いや、まあ、それは俺の口からは言ったらダメだよね」
「本当に? 君、星谷くんに余計なことを言っていないでしょうね」
「余計なこと?」
「華桜会入りを勧めるとか」
 ないない、と言いかけて鳳は言葉を切った。
「言っちゃったかも」
 柊は眉根を寄せた。
「いや、待って。卒業式の日だから、ギリギリ指導者としての発言ということでセーフ、だよね?」
 柊は頭を振った。
「君という人は」
「選ぶのも、引き受けるのも、俺じゃないのはわかってる。でも俺は星谷には綾薙でないとできない経験をしてもらいたいんだよ。あ、ここだけの話ね」
 鳳は変わった、と柊は思っている。
 研ぎ澄まされた輝きはそのままに、諸刃で自分も他人も傷つけるようなところがなくなった。おそらくそれは彼が理想としたものを、教え子たちが体現してくれたからだ。そしてその教え子たちの中心にいるのは、鳳に憧れて綾薙に入ってきた星谷だ。
 星谷が鳳を見つけ、鳳が星谷を見つけ、それは奇跡のような出会いなのだろう。

スタミュ

Posted by ありす南水