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事務所として借りている貸しビルの一室に、モンターク商会の社長がやってきたのは、アルミリアが選挙に出ると決めてしばらくしてのことだった。
ニュースで立候補のことを聞き、支援をしてもいいと言う。
「けどまあ、本気ですか。相手は再選確実の現代表ですぜ」
老舗商社の代表にしてはくだけた態度で、男は葉巻を取り出した。吸っていいかと問われ、アルミリアはどうぞと答える。
「対抗馬が出たことがない選挙は、いつか形骸化してしまいます」
ふむ、と男は頭を掻いた。
「金がかかりますぜ? 支援者がいたとしてもお嬢さんはすっからかんになっちまいますよ?」
「覚悟の上です」
男はまた頭を掻いた。
「うちはまあいろいろ手広くやって、そこそこ稼いでましてね」
男は端末を操作して画面をアルミリアに向けた。口座の残高が表示されている。
「とりあえずはこれだけ。どうせ足りないでしょうから、それはまたおいおい。こちらはお嬢さん専用の口座なんで、好きに使ってくれれば結構ですよ」
アルミリアは何度も表示を見直した。通常の援助の申し出とは桁が違った。
「あの、これは」
男は歯を見せて笑った。
「あっしを覚えちゃいませんか」
ソファから少し身を乗り出した男の顔を、アルミリアは正面から見た。
「何回かヴィーンゴールヴのどっちのお屋敷でも顔を合わせましたがね。そうそう。結婚式のときおふたりを教会まで運んだの、あれ、あっしです。副官の石動が忙しいとかで、急に呼ばれましてね」
石動、で鼓動が跳ね、結婚式、でアルミリアの記憶は呼び起こされた。
あの日、ボードウィンの家にいたアルミリアを突然マクギリスが迎えに来て、車で教会に行った。そこでふたりだけで結婚の誓いを立てたのだ。
「思い出してくださいましたか?」
アルミリアはもう一度名刺を確かめた。
「トド、さん?」
「ファリドのダンナが火星に視察に来て以来の右腕とは、あっしのことでしてね」
それは話が大きいのではないだろうかと思いながら、少しふっくらして身なりはよくなっているが、ちょび髭の顔をはっきりと思い出した。
「あなた、まあ、よく無事で」
「ダンナが最後の突撃をかける前に、お役御免になったもんで」
「革命軍と一緒だったのですか?」
「いや、あっしは別行動で。火星は古巣でいろいろと。それで退職金代わりにこの会社を貰いましてね」
アルミリアが手にする名刺を指す。
「貰った」
権利剥奪の際よく目こぼしされたものだと思うが、経済圏で実際に経済活動を行っていた会社は、ギャラルホルンの管轄外だったのかもしれない。
「あの人、会社経営までしていたの」
「ダンナは商売が好きだったんじゃないすかね。楽しそうでしたよ。ヘンなお面被っちゃったりして」
「お面」
「酔狂な人でしたよ、まったく」
アルミリアはくすりと笑った。
「あなたを右腕にするくらいに?」
トドは大袈裟に天井を仰ぎ見て、額に手を置いた。
「お嬢さんも言いますね」
「お嬢さんはやめて。結婚式を挙げたことを知っているのでしょ」
「では、奥様で?」
「そうね」
「奥様も酔狂なこって」
その声にはいたわる響きがあった。
後日届けられた、社長室に残っていたという仮面を手にして、アルミリアはひとり声を出して笑った。
トド・ミルコネンは安全宙域に離脱したあと、マクギリスの最後の戦闘をモニターで見ていた。
単機でアリアンロッド艦隊に斬り込んでいったバエルの軌跡は、嘘のように美しかった。
そうアルミリアに語った。