(5)
アフリカンユニオンの空気の良い山間で、イズナリオ・ファリドは暮らしていた。
「いいところですね」
アルミリアが言うと、皮肉と捉えたのかイズナリオは鼻で嗤った。
ファリド家が取り潰しになった際に十分な資産が渡されているが、それ以前から生活の保証はされていて、ここはマクギリスが選んだ亡命先だ。
「ようこそおいでくださいました」
玄関のドアを少年が開けてくれた。
「あなたが電話に出てくれた方?」
「はい。お待ちしておりました、奥様」
マクギリス・ファリドの妻と名乗ったからだろうが、ここでそのように呼ばれると思わなかった。
居間の真ん中で椅子に掛け、杖に両手を置いたイズナリオはじろりとアルミリアの黒い服を見た。
「こんなところまで押しかけてくるとはな」
家を出てからずっと何通も手紙を送っていたが、返事が来たのはつい最近だ。迷惑なので連絡してくるなという内容だったが、訪問したいという手紙と同じ内容を電話で伝え、強引にやってきた。
イズナリオの前に立ったアルミリアは、口元に笑みを湛えた。
「お願いした件を、お義父様に教えていただければすぐ帰ります」
杖の先が絨毯を叩いた。
「そのように呼ばれる謂れはない」
「夫の父は妻にとっても父です」
「あれの妻を名乗って、なんの得もあるまい」
定期的な医療処置で老化は遅らせることができるので、外見的な変化を見つけるのは難しいが、イズナリオに以前のような覇気はなかった。
「あれの過去を暴いてどうしたいのだ。憐れんででもやるつもりか」
「知りたいのです」
「吐き気をもよおすぞ」
「それでも知りたいのです」
アルミリアは続けた。
「あの人がどこから来たのか」
「あれがいた娼館はもうない」
答えがすぐ返ってくるとは思っていなかったのと、娼館という言葉に心臓が大きく跳ねた。
「店の名前と当時の経営者ならば覚えている」
イズナリオはアルミリアの動揺を見て取った。
「やはり止めておくか」
「いいえ…」
差し出す端末を受け取ったのは少年で、イズナリオの言うとおりに情報が入力される。
「今日のようにひとりで行こうなどとは、思わないことだ。なにがあっても知らぬぞ」
返された端末には、アルミリアの行ったことのないアーブラウの町の名前が記されていた。
「家を出て、大学に通っているのだったな」
イズナリオはアルミリアの書いた手紙の内容を口にした。手に取ってもらえるようにと、紙に記したものだ。
「政治と経済を学んでいます」
「学んでなにをしようというのだ?」
「政治を担います」
イズナリオは薄く笑った。その様子が血縁がないと思えないほど、マクギリスに似ていた。
イズナリオは値踏みするようにアルミリアを見た。
「そなたは随分と寛容なようだな」
「寛容?」
「欺かれた者は報復するものではないか? そなたの兄のように」
「お義父様にとっては、報復だったのですか?」
マクギリスがファリドの血を引いていないことを、全世界に向けて公表した件だ。あれがなければマクギリスはもっと戦えた。
「忘れたな。過ぎたことだ」
素っ気なく言い放ったあと、イズナリオはまた笑った。
「まさかあれがバエルを奪うとは。セブンスターズの面々も度肝を抜かれたことだろう。それだけは今思っても胸がすく」
「マクギリスがアグニカ・カイエルの本を大切にして、繰り返し読んでいたのをご存じでしたか」
「いや?」
「あの人は、アグニカ・カイエルを心の支えに生きていたのです」
「…ほう」
興味を持ったようだった。
「そなたはバエルを起動するというのが、なにを意味するかわかっているのか?」
「アグニカの心に適ったということですか?」
「あの機体は阿頼耶識システムなしでは、動かないものだった。愚かなことだ。あれほど美しい肉体を損なって」
「阿頼耶識」
体内にナノマシンを定着させる、ということは知っているが、倫理に触れる行為だ。
「それ以外の方法では、バエルは起動できなかったのですか」
「だからこそ伝説の機体だったのだ」
ならばマクギリスは阿頼耶識を用いたのだろう。自らの肉体に手を加えてまで。
「お義父様はそれを野心だと思われますか」
「力を求めたのであろうな」
「なんのために?」
イズナリオは杖を持ち直した。
「私はあれに望むものをすべて与えてやった。それ以上を求めた理由など、なぜわかる」
誰もが自由に愛する人を愛せるように。
アルミリアはマクギリスの言葉を思い出したが、それは自分に向けられたものだ。
「ありがとうございました。お話ができてよかったです」
それは本心からの言葉だった。
「お義父様。お元気で」
頭を下げるアルミリアに対し、イズナリオは窓の外に顔を向けた。
玄関まで案内してくれた少年に、アルミリアは訊ねた。
「あなたはここで幸せ?」
「はい、とても」
外見上の特徴がマクギリスとよく似た少年は、笑顔で答えた。
「旦那様は、身寄りのない私にとてもよくしてくださいます」
いつ、なんの折だったかイズナリオはもう忘れたが、マクギリスがとても饒舌だったことがある。
本家に来てそう日が経っていないときのことだ。
「今日はよく喋るな」
イズナリオがそう言った途端、マクギリスは黙ってしまった。
うるさいという意味ではなかった。だが以後マクギリスがそのように喋ることは一度もなかった。
些細な出来事が今になって思い出される。
後悔とはそんなものだ。