(3)

経済圏の、というのはやはり無理だったが、学校に通うことは許可された。父はもう、娘がおとなしくしていてくれるならなんでもいいというふうだった。

「毎日熱心ですね」
声をかけられて、アルミリアは読んでいた本から目を上げた。
「面白いですか?」
話しかけてきたのは司書だった。
貴重品である紙の本で満たされた部屋に来る学生はあまりおらず、図書室はいつも静かだ。
ヴィーンゴールヴで暮らす者のなかでも、上流階級の子弟が通う学校の女子部にアルミリアは在籍していた。
「ためになります」
読書に戻りたくて、短く答えた。
「なんのために読んでいるのですか?」
答える義務はなかろうと抗議の意を込めて睨むと、司書は腰を屈めて頭を下げた。
「失礼しました。あなたがファリド准将の御心を知ろうとなさっているのではと思いましたので、つい」
「…あなた?」
 マクギリスはギャラルホルンでのすべての権限を剥奪され、そんなふうに呼ぶ人はもういない。
「かつて准将が学生だった頃に読まれていた本ばかりを、読んでおられますね」
男子部とは図書室を含む一部施設を共有している。端末を少し操作すれば、過去の貸し出しと閲覧記録を見ることができることに気づいてから、アルミリアは一番古い記録から追って、マクギリスと同じ本を読んでいた。
「あなたは、誰」
 司書は声をひそめ、自嘲するように笑った。
「革命に命を捧げそこねた男です」
「ギャラルホルンにいたの?」
「文官でした」
それゆえ戦闘に出番はなく、だが革命軍が勝利すれば役割があった。
「誰も帰ってはきませんでしたが、私は待っていました。真実を伝えるべき誰かを」
 熱に浮かされたような目で、司書はマクギリス・ファリドが成そうとした改革について語った。

 経済圏の人となら結婚してもいいと父に伝えてしばらくあと、アルミリアはネモ・バクラザンに呼び出された。

かつてギャラルホルンの頂点に君臨した七家は三家門が潰え、残った家もその特権の大部分を失った。
使用人の減ったバクラザン邸は静かだった。
「まだ喪に服しておられるのかな」
 バクラザンはソファに座るアルミリアの黒い服を示し、アルミリアがなにか言う前に続けた。
「花の盛りをそのように費やすことを、マクギリスは望んではおるまい」
バクラザンの口からマクギリスの名が出るとは思っていなかったアルミリアは、密かに動揺した。
「私が、そうしたいのです」
「それなのにほかの者と結婚したいと?」
「なぜそれを」
「お父上がよい相手はいないかと、探しておられたのでな」
アルミリアは膝の上に置いた両手を、それぞれ握りしめた。結婚をしたいわけではない。そもそもはそれから逃れるために学び、働きたかった。
だがやはりヴィーンゴールヴでは学べることに限界があり、アルミリアが外に出る手段は結婚しかなかった。
「ここを出て行くのが目的か。だとすれば、ここを出てなにをしたいのだ」
 なぜそのようなことを訊くのかわからず、本心を告げていいものか迷ったが、説得力のある嘘を思いつくこともできなかった。
「大学に行って学びたいのです」
 図書室でマクギリスが借りた本はすべて読み、彼が有していた知識の一部を共有した。だがそれだけでは司書が語る、改革を提唱するマクギリスの姿にはならなかった。
 司書はアルミリアに革命の理念を説いたが、アルミリアが追い求めるのはそれを掲げたマクギリスだった。
「なるほど。ならば、わしが後見人となろう」
 思いがけない申し出だった。
「信用ならぬか」
 頷くと、笑われた。
「それも道理だが、わしにとってはあの折、マクギリスと交わした約束を履行するだけのこと」
「あの折、とは事件のときのことですか」
 バクラザンは頷いた。
「いかなる状況になろうとヴィーンゴールヴでの破壊行為は行わないと、代わりにわしはいかなる状況になろうと奥方の安全は保障すると、そういう約束をした」
 鼓動が早くなり、アルミリアは膝の上で組んだ指を無意味に動かした。
「状況的にマクギリスの勝算は少なかった。だがここを道連れとすることも可能だった」
「あの人はそんなことはしません」
 バクラザンは目を伏せた。
「とにかく、そういうふうに取り決めた。そして実際敗退時、制圧された以外にもマクギリスを支持する者が相当数いたはずだが、そのまま姿を消した。ラスタル・エリオンが特にそなたに言及しなかったことから、わしは今日まで特になにもすることがなかったが」
 それはアルミリアが取るに足りない存在だからだ。ファリド邸からボードウィンに連れ戻されたアルミリアは、自分の無力さをよくわかっている。
「今頃私に手を差し伸べて、どういうおつもりですか」
 さて、とバクラザンは静かに頭を振った。
「強いて言うなら、才気溢れる若者をあたら無謀な道に進ませてしまったことへの罪滅ぼしかの」
「ご老人のお言葉ですね」
「いかにも」
アルミリアは唇を噛み締めたあと、顔を上げた。
「父を、説得してくださるのですか?」
「難しくはないだろう。我らが家門の威光はもうない。縁組による家の再興など無理な話だ。若い者は自由に生きるがよい」

マクアル

Posted by ありす南水