(2)
右手を窓枠にかけ、アルミリアは上半身を二階から乗り出した。
下は隙間なく生い茂った植え込みだ。
腕を伸ばしさらに間合いを測っていると。
「お嬢様っ!」
後ろからぶつかるように抱きしめられた。
「お嬢様っ! 早まらないでくださいっ! どうしてもと仰るなら私もお連れくださいっ!」
「ま、待って」
翻る黒いスカートの裾を見ながら右手に力を込め、しがみつく侍女を自分ごと室内に押し戻した。
「お嬢様ぁ!」
「待ちなさい。あなた、勘違いしてるわ」
泣きながら抱きついてくる侍女は大人なので、アルミリアよりからだが大きい。
「落ち着いてったら。人が来てしまう。安心して、私は死ぬつもりはないから」
侍女は涙に濡れた顔を上げた。
「本当に?」
アルミリアは微笑んで頷いた。
「では、お嬢様はなにをなさっていたのです?」
「アルミリア!」
ノックの返事を待たずに、ガルスは娘の部屋に入ってきた。
黒のワンピースを着たアルミリアは窓辺に佇み、侍女は壁際に控えていた。
「アルミリア。今日こそ見合いの日取りを決めさせてもらうぞ」
アルミリアは足を踏ん張り、声を張り上げた。
「お父様! 私は誰とも結婚しません!」
「今度の相手はおまえと年も近い。いい縁談ではないか」
「私はマクギリス・ファリドの妻です!」
「いつまでそんなことを言っておるのだ」
アルミリアは大きく息を吐いた。
「お父様にはわからない。それはよくわかりました。だから、お父様にもわかる方法を取ります!」
アルミリアはスカートの裾を蹴り上げ、窓枠に足をかけた。
「お父様がどうしても私を嫁がせたいのなら、私はマッキーの元に行きます!」
「アルミリア!」
一気に身を乗り上げ、そして飛び降りた。
そうするように指示しておいた侍女が叫んだが、たぶん本気の悲鳴だろう。
頭を庇って植え込みの上に落下して、衝撃をやり過ごしてからアルミリアはゆっくり目を開けた。
真上の空は青かった。
うまくやったつもりだったが、右足を骨折した。
「大丈夫だって仰ったじゃないですか!」
医療ポッドから出たあと、念のためにとベッドに寝かされたアルミリアに侍女は怒った。
「でも、お父様は諦められたでしょう?」
狼狽した父は、娘の頭がおかしくなったのではないかとそちらの医者にも見せたが、当然アルミリアは正気だ。
侍女は困った顔をした。
「それは、まあ。旦那様もお嬢様のお気持ちを無視して急ぎすぎです。でも、お嬢様。今はまだ早いと思いますが、ずっとお屋敷にいらっしゃるわけにはまいりませんよ」。
「そうね」
アルミリアは政略のための家の駒だ。ことに七家の権威がなくなった今、資産家と縁つながりにならねばボードウィン家は没落する。
「私、足が良くなったら、学校に通いたいの」
「学校、ですか?」
「経済圏の」
「それは、旦那様がお許しになりません」
「じゃあ、とりあえずはヴィーンゴールヴのでかまわないわ」
とりあえず、というところに引っ掛かりを覚えたようだが、侍女は指摘しなかった。
「そうですね。外に出れば、お気持ちも変わるかもしれません。お元気になられたら黒い服はやめて、お召し物を明るい色のものにされませんか? もう一年です。お嬢様は十分喪に服されました」
「なにが十分なの?」
アルミリアは上半身を起こした。
「教えて。なにが十分なの?」
妻であるのに、夫の罪を償うことが許されなかった。それどころかアルミリアがマクギリス・ファリドの妻であることは、誰にも認められなかった。
なにが、どこが、十分なのか。
侍女は胸元で手を握りしめた。
「私はずっと見ておりました。お嬢様とマクギリス様は本当に仲睦まじく、ご一緒のお姿は美しい絵のようでした。ですが、お嬢様をこれほどまでに悲しませたマクギリス様を、私は酷いと思います」
アルミリアは再び背中をシーツにつけた。
「酷いのは私も同じ」
「え?」
答えず、目をつむった。
兄が帰ってきて、兄の足が二度と動かないと知り、マクギリスを詰りながら父は嘆いた。そのとき、アルミリアは自分が待っていたのは兄ではなく夫だったと気づいた。
「お兄様がマッキーを殺したの?」
どうしても知りたくて問うと、父は顔色を変えたが、兄はアルミリアを真っ直ぐ見た。
「あの人はどんなふうに死んだの?」
「アルミリア!」
父が怒鳴り、アルミリアを突き飛ばした。
兄はその後入院し、以来会っていない。