(11)
6
隠居屋敷。離れ。夜。
「兵部、ここにあるのソフトドリンクみたいなボトルだけどアルコールだから」
冷蔵庫を開けた風呂上がりのヒノミヤが注意する。間違えて飲むなよ、という意味だ。寝間着姿の兵部はソファに座って、面倒臭そうに髪を拭いていた。
「了解した。だがヒノミヤ。僕は別に飲めない体質じゃないんだぜ」
だから間違って飲んでも問題ない、という意味だ。
「え? 生体コントロールに影響するとかそんなんじゃないのか?」
「たいした手間じゃない」
「そうなのか? じゃあ下戸」
「だからそういう体質じゃない。一合くらいで酔うことはなかったし。まあ、昔の話だが」
「昔ってどのくらい」
「戦前」
ヒノミヤは考えた。兵部の言う戦前はついこの間の戦争ではなく、その前の戦争のことだろう。
「おまえ、子どもだったんじゃ」
「そうだけど。軍隊にいたし。周りは年上ばかりだったし」
昔のことだし?
いやいや、まずいだろ、とヒノミヤは思ったが、今更言っても仕方のない、確かに昔のことだ。とにかく兵部は酒が飲める体質らしい。
「まあ、不二子さんの世話をするのに忙しくて、量を飲んだことはないけど。いや、一回だけあったかな」
「じゃあなんで飲まないんだ」
「志賀さんと約束したから」
「へ?」
唐突に出てきたヒノミヤには馴染みの薄い名前だが、兵部の大切なかつての仲間だ。
いいか、京介。おまえは絶対人前で酒を飲むな。いいな、これは男と男の約束だ。
はい、志賀さん!
という会話を、一回だけあった量を飲んだあと、交わしたらしい。
「なんで?」
「なんでとは?」
「おまえ、量を飲んだらどうなるの?」
「さあ。そのときのことは覚えてないし、それから飲んだことないし」
兵部のかつての仲間に対するいい子っぷりはすごい。無意味だとわかっていてもヒノミヤが妬いてしまうくらいに。だからからんでしまった。
「なあ、飲んだらどうなるか知りたくねえ?」
兵部はヒノミヤの瞳を覗くように顔を見て、それから視線を宙に浮かせて考えた。
「まあ、いいけど。君しかいないし。君だしね」
というわけで、兵部は酒を飲むことになった。
兵部がかつて飲んだことのあるのは日本酒だったが、ここにはないのでバーボンで我慢してもらう。
水割りからロックへと変えて杯を重ねる兵部に、ヒノミヤはだんだん悪いことをさせているような気持ちになってきた。よくよく考えれば兵部のからだは十代半ばのものだ。飲ませないほうがいいのかもしれない。
「兵部、やっぱり、もう」
グラスを取り上げようと手を伸ばすと、兵部は素直に渡した。悪かったよ、もう寝よう、と言おうとする前に、暑い、と呟かれた。
「あ、水飲むか?」
「うん、脱ぐ」
は? と思ったヒノミヤの目の前で兵部は立ち上がると、羽織っていたカーディガンをやけにゆっくり脱いだ。
え? とヒノミヤが思っているあいだに、寝間着の帯をはずしかけ、それからふと顔を上げる。
「もしかして、こっちのほうが興奮する?」
指をぱちんと慣らすと、学ラン姿に変わった。
「じゃあ、もう一度」
脱ぎます、と宣言して、詰襟が兵部の手からぱらりと落ちた。
「うああああ! ひ、兵部っ?」
ようやくヒノミヤにもわかった。ストリップが始まったのだ。
兵部の裸など何度も見ているし、見ようと思えばいつでも見られる立場だが、こんなシチュエーションは初めてだ。
シャツのボタンをひとつずつはずしていくのも、そのシャツを脱ぎ捨て、ベルトを外しズボンのチャックに手をかけるのも、いちいち見せつけるように行われる。しかも堪らず触れようとすると、触るなと怒られるのだ。
「君はじっとしている決まりだよ」
いつからそんな決まりが出来たのだろう。中途半端に止まったヒノミヤの手を両手で掴むと、兵部は中指の裏側に舌を這わせた。
「うわっ」
軽く歯を立てたあと指をしゃぶられて、背中がぞくぞくする。口のなかを指先で撫でようとすると、人差し指に変えられた。そうして五本の指すべてを堪能したあと、兵部はどこからか寝間着の帯を出してきて、ヒノミヤの手首を後ろ手に縛った。
「ひ、兵部?」
「じっとしているんだよ?」
触れるか触れないぎりぎりのところまで唇を寄せて囁かれる。
「わっ!」
わりと大雑把にスウェットのズボンのなかに手を突っ込まれ、いきなり性器を引っ張り出された。
「兵部!」
なに? という感じで微笑まれ、ヒノミヤは黙った。
「ヒノミヤ、いつもありがとう。感謝しているんだよ。だから気持ち良くさせてあげるね」
「おまえ、そういうことは下半身じゃなくて、顔見て言ってくれないか?」
聞いていない兵部は、ヒノミヤに舌を絡めた。
「君の真似」
「!」
浮かれてしまった。
「…大きい」
握ったまま兵部が顔を上げた。
「そりゃ、なるだろ」
ふうん、と呟いた兵部は、脱ぎかけだった自分のズボンのなかに左手を突っ込んだ。
「…あ」
吐息のように声を漏らす。
これは、俺がもうちょっと若かったら鼻血ものだったかも。
最早ヒノミヤは止めることも忘れ、兵部の痴態に見入っていた。
「あ、あ、気持ちいい…」
口淫しながら自慰を続ける兵部は異様に綺麗だ。
「ちょっと、待て。俺、もう我慢出来ないから、離れろ」
ヒノミヤの警告を兵部は無視する。兵部の口にはヒノミヤのものは入りきらない。だが一瞬だけ深くヒノミヤを飲み込んだ。
「…っ!」
目が眩むような快感だった。喉の柔らかいところに先端が触れ、ヒノミヤは達し、兵部が激しくむせる。
「わ、悪いっ! 大丈夫か?」
背中をさすろうにも拘束している帯が妙な具合に結ばれていて腕が抜けない。手首の関節を外そうとして、まだ呼吸の整わない兵部の頭が胸にぶつかってきて仰向けに倒れた。
「じっとしてろと言っただろ」
口元をこぶしでぐいと拭く様がなぜかカッコイイ。精液と涎を拭っただけなのだが。
「あー、兵部? そろそろ俺、おまえに乗っかりたいんだけど」
兵部は目を細めた。
「ダメ」
「あー、じゃあせめて、俺もおまえの咥えさせて」
ずらせたズボンから覗く兵部のものは、今は半勃ちだ。
「それもダメ」
兵部は徐にヒノミヤの首に噛みついた。甘噛みの限度を超えるすれすれだ。自分のつけた歯型のあとを舌で辿り、鎖骨までねっとりと舐める。
「こういうのは、どうだろう」
ヒノミヤの上に乗ると、自分のものとヒノミヤのものを両手で一緒に持って擦りつけ始める。大きさといい色といい違いすぎるそれらが、白い兵部の手に嬲られ、ヒノミヤはたちまち固さを取り戻した。兵部が固くなっていくのを直に感じるのも、たまらない刺激だ。
「…うあ、おまえ、それ、すごすぎ」
「うん、君のもすごい。気持ちいい?」
「いいから、こんな、なってんだろ」
太腿に乗っている兵部の尻の感触もじんわり快感を煽る。縛られた手が床に押しつけられて痛いのすら、ただ苦痛という感じではなくなってきた。
そこではたと気づいた。
「え、もしかして、俺、挿れられんの?」
拒絶ではなく確認だ。
「挿れない。そんなの君、別によくないだろうし」
兵部はそっと上半身を前に倒してきた。互いの腹に互いのものが押される。
「でも、今夜は僕が、君を気持ちよくしてあげる」
ぞっとするような美しさを笑みに乗せて、兵部はヒノミヤにキスした。
朝。
週末は坊ちゃんに寝坊が許されている。つまり兵部もヒノミヤもやや遅く起きてもよい。
目を開けた兵部は、寝室ではなくリビングのソファの上で毛布を被って寝ていることを不審に思いながら、からだを起こした。
寝間着の合わせが逆なので、着せられたのだろうと推察し、そういえば飲酒したらどうなるかを検証したのだと思い出した。
「からだの具合は?」
片膝を立ててラグに直接座っていたヒノミヤに問われる。頭を軽く振ってから、兵部は答えた。
「顎が痛い」
「…まあ、そりゃそうだろ」
兵部はリビングを見渡した。サイドテーブルの上の空のバーボンのボトル。飲みかけのグラスがふたつ。あとはなにも変化はない。
あるのはヒノミヤで、風呂上がりに着ていたのとは違う部屋着から見えるところだけでも、夕べまではなかった跡がある。首の噛み跡など、当分ハイネックしか着られなさそうな派手さだ。
「もしかして、覚えてない?」
頷いた兵部は、腕を伸ばしてヒノミヤの肩のあたりを指先で触れた。ヒノミヤの記憶が流れ込んでくる。
「…うわ」
「うわ、じゃねえよ」
「君がこんなに変態だったとは」
「リードしてんのおまえだろ」
「そうみたいだ」
「他人事みたいに言うな」
兵部は首を傾けた。
「いーじゃん。君も結構楽しそう」
「おかげさまで。天国で地獄でした」
「うまいこと言うなあ」
ちゅっと唇に触れるだけのキスをして、兵部は離れた。
「なるほど、僕は大量にアルコールを摂取するとああなるのか」
落ちていたカーディガンを拾って羽織り、毛布を畳んでソファに座ると、ヒノミヤに責める目つきで見られた。
「おまえ、もしかしてわかってた?」
「まあ、薄々はね。子どものときは言いつけの意味がわからなくても、大人になったらなんとなくわかる、ってあるだろう。志賀さんに約束させられたとき、起きたら半裸で毛布でぐるぐる巻きにされてたんだよね」
志賀さん、さぞや引いただろうなあ、と兵部は思う。
当時の兵部は別に取り繕っていい子をしていたわけではないが、どうやら酔って出てくるのは素の部分らしい。
ヒノミヤは立ち上がった。
「まさか、おまえ!」
兵部は冷ややかにヒノミヤを見返す。
「君さあ。誰でも僕のそういう相手だと思うのやめなよ。志賀さんは兄みたいな人だったんだ」
そうだろうけどよ、とヒノミヤは口を尖らせた。
「とにかくこれで長年の疑問に答えが得られたよ。君なら僕の能力が暴走しても止められると思ってさ」
「暴走したのは能力じゃなくておまえ自身だけどな」
「それも君なら止められると思ってたよ」
目を細めて笑う。この笑顔が一番信用ならない、と思われていることは知っている。
「おまえ、もう絶対飲むなよ」
ヒノミヤは兵部を睨んだ。
「風呂入れてくるから、入って、それから昼まで寝ろ。母屋へは俺が時間に行く」
睡眠が足りていないのはヒノミヤも同じだろうが、兵部はそうすると答えた。確かに眠い。
風呂場に向かおうとするヒノミヤを呼び止める。
「それ、消してやるぜ?」
首筋の噛み跡を指で示すと、ヒノミヤは手でそこを覆って、思案顔になった。
「あー、まあ、いいわ。当分、襟の高い服を着る」
「ほほう」
坊ちゃんに余計な刺激は与えたくないのだが、それはヒュプノで誤魔化せるだろう。
「気に入ったのなら、時々酒を飲もうか?」
兵部の提案に、ヒノミヤは真顔に戻った。
「いや、結構」