(5)
5
突然の兵部からの電話は、命令形で始まった。
「僕が死ぬまで僕を愛せ」
近くにいると確信して見渡すと、歩道の植え込みの傍に立つ兵部と目が合った。パーカーにクロップドパンツという、見た目はなんとも可愛らしいティーンエイジャーだ。
「おまえが死ぬまでおまえを愛してるよ」
目の前で言うと、兵部は白けた表情で端末をポケットに入れた。
「あっさり答えるなよ。つまらない」
「そりゃ悪かった」
口を尖らせた兵部を抱きしめる。
「ここ、君の職場のすぐ近くだぜ」
「そうだな」
「通行人が見てるけど」
そう言いながら背中に兵部の腕がまわるので、さらに強く抱きしめた。
「生きてたんだな」
「約束通り残りの命は君のものだよ」
「はは、そんな約束したなあ」
また会えるとは思っていなかった頃に。
「たださあ」
と、兵部は少し声の調子を変えて、徐に顔を上げた。ヒノミヤの首の後ろで指を組んで、上体を反らせる。とても兵部らしい、胡散臭い笑顔だった。
「今の僕にはもれなくブラックファントムの坊ちゃんがついてくるんだけど、いい?」
場所を変えて財団近くの公園。
「おまえ確かそいつに解剖されかけてなかったか」
ベンチに座る兵部に、ご所望の売店で買ってきたカフェオレを渡した。
「喉元過ぎたら熱さを忘れる質で」
紙コップに一口つけて熱かったのか顔を顰めてから、ふうふう吹く。
「あいつはバベルの預かりになっているんだろ。なんで助けたいんだ」
「薫に頼まれた」
ヒノミヤは兵部の隣に荒っぽく腰掛けた。
「クィーンがおまえのとこに来たってことは、バベルは、つうか皆本は裁判にかける気なんだな?」
「極刑前提の」
「それが正解なんじゃねえの?」
「薫は嫌だって」
ヒノミヤはやや曇った空を見上げた。
「真木さんはなんて?」
「外堀は足場を固めてから埋めるもんだろ」
「足場って俺か。助ける為に俺がいるってわけか」
「僕らが暮らすのに、坊やがついてくるだけさ。どうしても嫌ならいい」
兵部は半分飲んだ紙コップをヒノミヤに返した。途中で飽きたり満足すると、いつもこうやって人に押し付ける。ヒノミヤはぬるくなったカフェオレを一気に飲むと、紙コップをゴミ箱まで投げた。
「おまえ、実際のところ、俺が嫌とか言うと思ってる?」
「言われても仕方がないとは思ってる」
「あっそ」
「君に嫌って言われたら困るな」
兵部はこういうヤツだ。もうちょっと渋っていたら手を握ってきて、もっと黙っていたらキスしてくるだろう。そして最終的にキレる。
ヒノミヤはこれ見よがしに大きく息を吐いた。このくらいの嫌味は許されるだろう。
「で、俺にどうしてほしいんだ?」
家を探せと言われた。
兵部とヒノミヤ、それにギリアムが住む家だ。場所は日本国内。そこそこの広さのある母屋と、別に居住空間を確保した離れが必要。
早急に、という希望を叶えるため、財団本部のボスのところに向かった。
「あら、ヒノミヤ。あなた、往来でティーンエイジャーの可愛い男の子と抱き合っていたんですってね。秘書課の娘が騒ぎしてたわよ」
ボスことソフィー王女の開口一番に、ヒノミヤは引きつった笑いで答えた。だが王女はからかうつもりはなかったらしい。
「兵部少佐は生きていたのね。喜ばしいことだわ」
「まあ、色々とご内密に」
財団はヒノミヤを通してパンドラと親密な関係にあるが、パンドラはこれまで犯罪組織とされていたため、大っぴらにはされていない。
「それで、要件はそのことに関係してかしら?」
一週間ばかり休みたいことと、近いうちに退職したいことを伝えると、王女は顔を曇らせた。
「あなたに寿退社されては困るわ」
このボスはたまにどこまで本気かわからない。
「いやまあ、放り投げて行くつもりはないので、引き継ぎはしますよ」
「辞めさせません」
言い切った。
「もしかして、パンドラに転職するつもりなの?」
「いや、それはないですけど」
「だったら、うちに籍を残しなさい。勤務形態については考慮します。これまでもあなたが兵部少佐を第一に動くのを黙認してきました。これからも同じです」
俺の周りってこういう人間ばかりだなあ、とヒノミヤは思った。
とりあえず休暇は貰えた。
「おかえり」
アパートに戻ると兵部はリビングのソファに、靴を脱いで寝そべっていた。
世界が巻き込まれた戦争のごたごたで前の部屋に住めなくなって、数ヶ月のホテル暮らしのあと最近ここに引っ越した。だから兵部がこの部屋に来たのは初めてなのだが、物凄く寛いでいる。
「腹減ったろ。なんか食いに行くか」
うーん、と兵部は伸びをした。ズボンの裾から覗く足首とくるぶしに本能が疼いて、のしかかると腕が伸ばされ受け止められた。子どもでも大人でもないぎりぎりの境界のからだを組み敷くと、兵部は可愛いティーンエイジャーでは到底浮かべられない笑みを見せた。
「ここは嫌だ。落ちる」
指が弾かれ寝室のベッドにテレポートさせられる。そのままもつれるようにして抱き合った。
貪り食らわれるような荒々しさに応えながら、今僕が生きているのは君のせいだよ、と兵部は思った。
ここは命と引き換えか、という場面に遭遇するたび、再考して別の手段を選んだ。
要するに命惜しみをしたわけだ。
最終局面まで兵部が存在したことが勝利の一因となったのだが、それは結果論だ。
美学も美意識もあったもんじゃない。とても無様だ。
でもまあ、生きる糧だった憎しみが薄れてしまい、存在意義を見失いかけた兵部に、それまでなかった未来を見せたのはヒノミヤだ。
彼が望んだものは大方の人にとって一笑に付すようなものだったし、兵部自身もそう言ったが、ヒノミヤの気持ちは変わらなかった。
一年でも半年でも一日でもいい。そんな未来を与えてやれるならやりたいし、自分も得たい。
というわけで、最後にちょっと無茶をしたので、しばらく寝込んでいたが、現在兵部は予定外に元気だ。大事に生きれば十年くらい持つと思われる。
ヒノミヤはまだ若いから、そのあとまた彼の人生を歩めるだろう。だから十年彼の人生を奪うし与える。
ギリアムのことはほとんどアクシデントだ。ちょっと重い荷物と言ったところか。
仕方が無い。
兵部少佐のしてきたことを思えば、楽隠居というわけにはいかない。
隠された地下室が牢代わりだった。
過剰な数で常時最大出力に設定されたECMに失笑する。
「やあ、坊ちゃん。久しぶり。僕に会いたかったかい?」
「兵部」
「酷く痛めつけられたね。皆本はああ見えてドSだからなあ」
わざとらしくクスクス笑いながら、椅子に拘束されているギリアムに近づく。
「僕を殺しに来たのか」
兵部は微笑む。この坊やはいくつになったのだったか。正しく愛情を与えられなかった子どもは、決して大人になれない。
「僕のように」
いや、と兵部は考え直した。それは今、彼を愛してくれている人達に対して失礼だ。
「かつての僕のように、ということにしておこう」
「なにを言っている」
「助けてあげる」
ギリアムは目をしばたかせた。
「もうすぐおまえは裁判にかけられて死刑を言い渡されてあっという間に執行される。しかし僕のクィーンはそれをお望みではない。だから僕が助けてあげよう」
「なにを、言っている」
「理解する必要はないよ。どうせ忘れるから」
兵部は顔から笑みを消した。
「悠理」
後ろに向かって呼ぶと、影が現れた。手足が伸びて美しく成長したかつてのファントムドーター。
ギリアムの目の色が変わった。
「ユーリっ!」
床に固定された椅子が軋む。
「お久しぶりです。お兄様」
兄妹の会話でもあるかと思ったが、ふたりはそのまま押し黙る。
「じゃあ、とっととやっちゃおうか」
「兵部、なにを…っ」
「悠理のヒュプノで君は生まれ変わるんだよ。さしもの僕もそのままの君と一緒に暮らすのは、ぞっとしないからね」
「殺せ」
「おや」
「情けなどいらない! 殺せ!」
「やだね」
兵部は冷たく言い放った。
「どうして僕が君の希望を聞いてあげなくちゃならないのさ」
息がかかるくらいギリアムに顔を近づけた。
「生きてみるがいい。罪の重さに気づいてからが、おまえの本当の人生さ」
別室で待機していた紫穂と賢木のところに、悠理が戻ってきた。
「悠理ちゃん。終わったの?」
悠理は頭を横に振った。
「ごめんなさい。お兄様の拒否反応が予想以上に強くて、私だけではダメだった。兵部少佐が仕上げをしてくれています」
悠理の顔には疲れが滲んでいた。
「少佐に余計な力を使わせることになってしまって」
「まあ、あの人の体力温存はただのズボラの面もあるから」
「それは酷いな、エンプレス」
兵部がテレポートしてきた。
「その呼び方やめて。男の人が怖がって寄ってこなくなっちゃったでしょ」
「それは呼び方のせいじゃなくて性格の」
「よく聞こえなかったわ。もう一回言ってもらえるかしら、少佐」
「いや、なんでも」
すっかり馴染んでいる兵部と紫穂を、賢木は複雑そうに見ていた。
戦争中兵部はチルドレンを守り援護し、終わった今は生死不明として自ら存在を消したのだが、長年敵として対峙してきたものを、簡単には認識を変えられない。にも関わらず、彼女たちに説得され、ここにいるのだ、賢木は。
「じゃあ賢木先生。坊ちゃんの往診をお願いします」
「気色悪い言い方はやめてくれ、兵部」
賢木は身震いした。
「許せよ、皆本。おまえを裏切るんじゃないからな」
「そーそー。長い目で見ればこれも皆本のためだって」
ニヤニヤしながら兵部が言う。忌々しいがその通りだ。
止むを得ないとはいえ、人の命を奪う決断は皆本らしくない。誰かが下さねばならないなら自分が、と皆本は思っている。薫が止めたい一番はそれだろう。
兵部に連れられ賢木はギリアムの元に行く。
意識を失ったギリアムは意外に安定していた。
憎悪の源となっていた記憶を封印し、子ども時代をやり直させる、というのが兵部の策だ。年月と根気が必要だ。
「これから僕が毎日調整しに来る。おまえはエンプレスと交替で状態をチェックしろ」
「命令すんな。言われなくてもそうする。やっちまったからには、途中でやめられん」
皆本、ごめんな、おまえのためだからな。
届かない言い訳を賢木は繰り返した。
足場を固めて外堀を埋めて本丸を落とす。
皆本がしてやられたのだと悟ったときのザマは、なかなかに見ものだった。
「というわけなので、裁判とやらはナシの方向に持っていけ。既に彼の身柄は僕が預かった」
「おまえは馬鹿だ」
声を絞り出した皆本に、兵部はあっかんべ、を返した。
とあるビルの屋上。
内密のはずだった兵部少佐の引退とそのあとの予定が、どういうわけかパンドラの一部に広まった。
「京介がメアド消しちゃったから、あたしのところにメールが来るんだよ。ほら、こんなにいっぱいお祝いが!」
薫が見せようとする端末を、兵部はちらりと見た。差出人はパンドラの第一世代ほぼ全員と第二世代の一部だ。
愛する兵部少佐引退に倣って彼らも引退することとし、しかしながら今後も兵部少佐の健康とご多幸を絶えることなく祈っている、という妙に重い内容など、いちいち読むのも時間の無駄だ。
ギリアムのことに触れている者はまったくいない。彼らの関心は専らヒノミヤだ。
「なあなあ少佐。うちらヒノミヤに会うてないねんけど、隠してんの?」
端末を覗いていた薫が顔を上げる。下の階は戦争で破壊されて立入禁止だが、屋上はほぼ無傷で、ピクニックセットを持ち込んでビニールシートを敷いて、青空の元のランチをしている。
「あいつは今、旧陸軍の隠し財産を取りに行っている」
「なにそれ」
紫穂が聞いてから、シャンパングラスを傾ける。やや不格好なサンドウイッチは三人が作った。結構美味い。
「あるのは知ってたんだけど、使う気にならないから長年放置してたんだ。坊ちゃんにパンドラの金を使うのもなんだしね。ほかに第三帝国の遺産ていうのもあって、それは先週回収済だよ」
ヒノミヤが、と付け加える。
「こきつかわれてんなあ」
「ドクイツには一緒に行ったよ」
「ハネムーンてわけ?」
「いや、違うけど」
「京介、お嫁に行ってもいつでも会えるよね」
「うん、会える。お嫁にも行かないし」
ヒノミヤと暮らすことが妙なふうに表現されるようになったのは、皆本のせいだ。
一部に情報を流したのも皆本だし、その際そういう言葉を使ったらしい。すべて腹いせだ。
あのメガネめ。建前上の生死不明を台無しにするつもりか。
ドクイツに行く途中会ったユウギリにもなぜか伝わっていて、ヒノミヤは引っ叩かれた。
「大きくなったらアンディのお嫁さんになろうと思ってたのに!」
ユウギリは大きな目に涙を溜めて叫んだあと、兵部に抱きついて、
「少佐! 幸せになってね!」
と、わんわん泣いた。
ヒノミヤは「理不尽だ…」と呻いていた。若干気の毒だった。
「少佐、指輪とかもうたん?」
「だから結婚じゃないって」
「ヒノミヤには甲斐性がないのね」
「あたしからヒノミヤに言ってあげるよ!」
立ち上がった薫を、兵部は座らせた。
「言わなくていい。むしろ言わないでくれ。それより僕から君たちにこれをあげるよ」
兵部が指を鳴らすと宙に革袋が出現した。口を縛っていた紐が解けて、日の陽を受けてなかが光った。
「はい。薫にはこれ」
いつの間にか兵部が親指と人差し指のあいだに挟んでいたのは、白く透明に輝くカットされた石だった。
「水晶?」
「アホっ、薫!」
「ダイヤモンドよ!」
「ええっ! デカすぎない?」
葵にはサファイア、紫穂にはルビーと、それぞれ大粒の石を彼女たちの掌に乗せる。
「き、京介、まさかこれ、盗品」
「そんなもの君たちに贈らないよ。これは全部僕が個人的に貰った。ほら、鑑定書もあるし、譲渡状もある」
透視んだほうが速いと紫穂が宝石に触れ、透視取るにつれ眉間に皺を寄せた。
「紫穂、やっぱり盗品なんか?」
「いいえ。これらはすべて少佐がいろんな人からプレゼントされたものよ。しかもいらないとか言ってる、この人」
「え! なんでや!」
「欲しいのはパンドラの活動資金であって、僕への貢物じゃないとかかんとか。それはわかっているから別に現金は用意してあるので、この宝石は私の真心の証だと思ってくれとかかんとか」
馬鹿らしくなったのか、紫穂は透視をやめた。
「ねえ、少佐。どうやったら宝石って貰えるの?」
「さあ。だから僕はいらなかったんだって。ただ換金が面倒なんで持ってたんだ。残りは他の女子たちにあげてくれ。ああ、紅葉はもう持ってるから。昔縁日で買った指輪を失くしたって大泣きしたときに、代わりにって緑の石をあげたんだ」
そのときの紅葉の嬉しそうな顔を思い出して、兵部は微笑んだ。
「女の子はみんな宝石が好きだよねー」
「えっ、えっ、貰っちゃっていいのかな? 高いんだよね?」
「高いとかいうレベルやないで、薫。ありがとう少佐。うちは貰とくわ」
葵は指輪がいいかペンダントがいいか、検討を始める。
「私も貰っといてあげる。形見だと思うね」
紫穂が猫のように目を細める。
「いや、僕はもうちょっと生きるつもりだけどね」
少し角度を変えるだけできらきら光る石を、薫は大切に胸に押し当てた。
「ありかとう、京介」
「どういたしまして、薫」
同じビルの屋上。夜。
白いワンピースを着た不二子は、月を背負って浮いていた。
向かい合う兵部は、そんな彼女を白い猫のようだと思う。
「最近からだ、どうなの?」
年寄りの会話はまず健康からだ。
「姉さんは?」
「まあまあよ。賢木くんが、あたくしをあんたよりも長生きさせるって息巻いてるから、そうなるでしょう」
「そっか」
兵部が笑い、不二子も笑った。
「来週を限りに隠居するんですってね」
「うん」
「あんたって、馬鹿よ」
「そうかなあ」
「孫みたいな年の男と恋愛したり、それは馬鹿というより恥知らずと言うべきね。ふたりで暮らせばいいのに、そこにお邪魔虫を連れてくとか」
「たいしたことじゃない」
「だから馬鹿って言ってんの。知ってたけどね」
「ひどいなあ」
「あたくしはいつでもあんたにはひどいのよ」
「知ってたけどね」
「でしょ」
ふたりは同時に足元の町の灯りを眺めた。人の営みの光だ。
「じゃあね、不二子さん。僕はそろそろ行くよ」
兵部は片手を上げた。別れの挨拶だ。
不二子は胸を張って、不二子らしく微笑んだ。
「さよなら、京介。元気でね」
日本の某所。秘湯と呼ばれる温泉を引いた宿。
テレポートゲートを通って客室に入った兵部は、畳の上に敷かれた布団の上にダイブした。
「…兵部」
「君、湿布臭いよ、ヒノミヤ」
「湿布まみれだからな。日本海の底はそれはそれは冷たかったぞ。海底洞窟は途中で崩れてくるわ、よくわからん深海魚に追いかけ回されるわ。俺は今満身創痍だ」
「それで首尾は?」
「目的の金塊は回収したよ。真木さんに預けた」
「ははっ。ヒノミヤ、トレジャーハンターになれるぞ」
「ならねーよ。てか、降りろ。マジで痛い」
「そうだなあ。風呂入ってこよう」
布団の上に乗ったまま、つまりは布団の下のヒノミヤの上に乗ったまま、兵部は頬杖をついて片足を上げた。
「おまえ今日なにしてたんだ」
「昼間は薫達とピクニック。さっきまでは不二子さんと会ってた」
「ふうん」
ヒノミヤは腕だけ布団から出して兵部の頭を撫でた。
「それでさみしくなってんのか」
足が交互にぱたぱたされる。
「会いたきゃ呼んで来てもらえばいい」
「不二子さんはあれで結構弱ってるんだ」
「だったらおまえが会いに行けばいい。連れてってやるよ」
「車で?」
「嫌なら紅葉姐さんに頼めばいいだろ」
兵部は顔を上げてヒノミヤと目線を合わせた。ふふっと笑う。
「そうだな」
触れるだけのキスが落ちてきたので、ヒノミヤが片腕で兵部を抱きしめ、片腕で尻を掴むと、人差し指が突きつけられた。
「言っておくけど、一緒に暮らしても毎日はしないからな」
「え? 各日?」
「それなら各日一回の回数制限を設ける」
「なんだそれは。週何回ならいいんだよ」
「知らないよ。そんなのそのときの空気だろう。でも毎日はなしだ。次いつ会うかわからないときとは違うんだよ。わかったか?」
「…わかった。じゃあ今日はダメなんだな」
昨日したから。
兵部は楽しそうに笑う。
「おまえ、満身創痍じゃなかったっけ」
「そこは元気だ」
「あ、ほんとだ」
「馬鹿っ! お預けなら触んなよ!」
本気で焦るヒノミヤの首に兵部は腕を回した。
「ま、今日はいいんじゃないの?」
まだ一緒に暮らしてないし。
言い終わらないうちに位置が入れ替わっていた。
ぼんやりと夢のなかにいた。
「さあ、ギリアム。起きる時間だよ」
カーテンが開けられた。
日の光が部屋を満たす。眩しい。
「ここは」
「君の家だよ。君の部屋。そうだろう?」
周りを見た。机。今いるベッド。壁にかけられた絵。
「僕の、部屋」
「そうだ、ここは、君の部屋」
兵部が笑う。
そうだ、兵部。僕はここで兵部と暮らす。暮らしている。
あれ、でもどうして兵部は白い服を着ているのだろう。
「兵部、服」
「うん。いつもこんな感じだよ」
あれ、そうだったかな。兵部はいつも黒い服を。いつも?
「いつもこんな感じだよ」
そうだ。兵部はいつもこんな感じだ。
「行こう。朝ごはんをみんなで食べよう」
兵部が差し出した手が、窓からの光で輝いて見えた。