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モナークのヒノミヤ行きつけのデリ。
オフィス勤務のときには帰りに寄って夕食を調達することにしている。
ショーケースの前で惣菜を選んでいると、奥のカフェから小走りに出てきた女性に声をかけられた。財団事務方所属だ。名前は知らない。
話があるのでお茶一杯付き合ってほしいと言われ、情報を扱う職業柄つい関心を持ったが、すぐ後悔した。
カフェにいたのは別の事務の女性だった。ヒノミヤを見るなり顔を真っ赤にして俯いたので、大体用件はわかった。
「ダメよ、しっかり、自分で言わなきゃ!」
「う、うん」
非常に申し訳ないが、俺はこういう状況を面倒臭いと思ってしまうような男なので、もう帰りたい。
ヒノミヤの気持ちをよそに、大人しそうな女性はもじもじと必死に告白しだす。そう広くはないカフェスペースの、ほかの客の視線を集めている。ヒノミヤを呼び止めた友人の女性も、手に汗を握って見守っている。
うわあ…。
どう言えば彼女を最小限に傷つけるだけでお断り出来るか。思案しながら視線を泳がせたヒノミヤは、一番奥の席の客と目が合った。と言うか、向こうが遠慮なく思い切りこちらを見ていた。
つばのないゆったりした帽子を被って洒落たシャツを着ている少年。
ひ、兵部!?
首に皮のチョーカーとかしていて、え、なんで学ランじゃないんだ? いや、それより、この好奇心満々の猫みたいな目はなんなんだろう。ほんと偶然大人の告白シーンに行き当たったミドルティーンみたいな表情の意味は?
ヒノミヤは目の前の女性に視線を戻した。彼女の言いたいことは大体終わっていた。
「終了か?」
カップを傾けて、兵部は澄ました顔だ。
「全部見てただろ」
「うん。君が来る前から」
かちゃんとカップが受け皿に置かれる。引き続き店内の注目を集めている。女性を泣かせた男がその足で奥の席の少年のところに行ったからだ。
「君はモテるけど派手な美人は悉く袖にしているから、家庭的なあなたならきっと大丈夫! 頑張って! という女同士の根拠のない励ましからずっと見てた」
目を細めて満面の笑顔の兵部に対し、ヒノミヤは呻いた。兵部はすっと真顔になった。
「行動パターンを作るのはやめたまえ。恋する女の子にでも可能な待ち伏せとか、プロに狙われたらどうする」
「俺はそんな大物じゃねえよ」
「君は誰と付き合ってるんだ?」
それはそうかもしれない。ヒノミヤの迂闊で兵部が不利益を被るのは冗談ではない。
「改める」
「そうしろ」
「で、なんでおまえはここに? その可愛いカッコは?」
ヒノミヤは椅子を引いて兵部の前に座ると同時に、テーブルに置かれた手を握った。
「恋人に会いに。紅葉に着せられた。僕としても特定の場所に繰り返し目撃証言が出ても困る」
銀髪と学ランが印象的なので、逆にそれらを外すと兵部少佐と認識される確率がぐっと下がるのだそうだ。
「すごい可愛い」
「その形容詞、特に嬉しくもないので二回も言わなくていい。ところで君、噂になるよ」
「女の子フったあとに美少年といちゃついてたって? 別にかまわねえよ」
兵部の手の甲にキスをする。
「君は酷い男だな」
「おまえにだけ誠実だったらそれでいい」
兵部は口をへの字に曲げたあと、ふっと笑った。
「悪くない」
「ほんとに俺に会いに来たのか? 泊まれるのか?」
「そのつもりだが不都合でも?」
「ない。じゃあ行こう。早くふたりになりたい」
小首を傾げる兵部の手を引っ張った。
兵部がヒノミヤに会いに来たのは、先日の暴走のその後が気になったからだ。制御出来ているとは思うが、万一ということもある。あるいはヒノミヤに会う口実を得たということで。
外で待とうと思っていると、勤め人の帰宅時間と重なって意外に人が多くてカフェに入った。兵部はここがヒノミヤの行きつけなのは知っていたし、そのことを注意しようと思っていた。
年下と一言で片付けるには差のありすぎる恋人に、あまり細々言い過ぎると保護者になってしまうが、危険につながることは看過出来ない。
もし仮にヒノミヤの身になにかあったとしても、兵部は動かない。それは私ごとだからだ。だからこそ注意深くあってもらいたい。
女性ふたりは兵部が奥の席に着いてしばらくして現れた。興奮しているため声も大きく、これから意中の相手に告白するのだと、特にテレパスでなくとも誰にでもわかった。
本でも読もうと思っていたのに、繰り返し出てくる、アンディ、という名前にそれどころではなくなった。
アンディという男はボスである王女の信頼厚く、有能で、当然財団のなかでも我こそはという美女がアタックしたが、全員さらりとかわされたらしい。だがほかに付き合っている相手がいる気配もない。
そういうときには、男の恋人がいるのかも、と疑ってみればいいのに。と、この店に入るまでに三回ばかり男にナンパされた兵部は思った。ミドルティーンに見える男の子に夕暮れ時に声をかけるなど、この国もなかなか自由だ。
とにかく彼女たちは、美女がダメなら可愛い系ならいけるかも、と考えたようだ。
緊張で目を潤ませている女の子に、ごめんね、と思うくらいの余裕は兵部にもあった。まあ…普通にモテるだろう。ヒノミヤはカッコいい。
早くふたりになりたいという要望に応えてテレポートしてもよかったが、それではせっかく兵部少佐に見えなくしてきた意味を損なう。店を出ると、帽子を目深に被り直し、ヒノミヤの腕にぶら下がってみた。モテるのはかまわないが、牽制くらいはしておこう。
「あ、しまった。夕飯買うの忘れた」
「市場に向かえ。食材を調達したら作ってやろう」
「俺、たいしたもん作れないぞ」
「僕が、作ってやろうと言っている」
「…作れんの」
疑わしい目を向けられる。
「ハンバーグ、カレーライス、ミートスパゲティ、グラタンなどが得意だ」
「それ、船で子供たちに人気のメニューだったな」
そう。子供たちの喜ぶ顔が調理の張り合いだ。恋人が喜ぶ顔でもいい。
「ほかには僕の好みで和食を少々」
食材、あるかな、とヒノミヤは呟いた。