指輪を買ってよ
「星谷。指輪買ってよ」
鳳から電話があったとき、星谷は炊飯器から保存容器にご飯を小分けしていた。今食べる分以外を冷凍するのだ。
日本を離れるとき那雪が持たせてくれた「星谷くんでも作れる簡単レシピ集」は、星谷の健康維持を助けてくれている。
「指輪?」
肩に挟んで携帯端末が落ちそうになって、姿勢を変えた。
「ステディリング的なの」
「ステディ?」
「リング。つきあってる相手からもらってする指輪」
「結婚指輪みたいなのです?」
「うん。まあその理解でいいけど」
いいですけどー、と続ける。
「あんまり高いの言わないでくださいよ。オレ、金ないです」
長らく居候させてもらっていた演出家アレクサンドル・ベルナルドの屋敷を出て、一人暮らしを始めたばかりだ。
「すぐなくすと思うから、買い直せるくらいのでいいよ」
「そこはなくさないよう、努力してほしいところなんですけど」
粗熱が取れるまで保存容器を放置して、鍋の味噌汁をコンロで温める。これもたくさん作ったので、朝食としても食べる。
「でもちょっと意外かも。先輩は指輪とか嫌いだと思ってました」
「なんで」
「縛られるみたいなの、嫌なのかなあって」
あー、と鳳は言葉を探す。
「まあ、確かにそうなんだけど。めんどくさくないかなって」
「めんどくさくない?」
「恋人いるの? って聞かれたとき、左手見せたらいいだけですむでしょ。ていうか、そもそも聞かれなくなると思うし」
今度は星谷が、あー、と声を漏らした。
恋人いるの? ってそんなに聞かれるんだ……と思いながら。
「じゃあ今度会ったときに買いに行きます?」
「とりあえず俺がふたつ買っておくから、ひとつ分の金額を振り込んでよ」
えっ、と星谷が叫ぶ。
「オレもするんですか? 違う、それよりも! こういうのって、振り込みとかそういうのじゃなくないです?」
「そう?」
「そうですよ! ふたりで買いにいくものですよね!」
「ああ、そうか。サイズとかあるし」
「そうじゃなくて! いえ、それもありますけど!」
「ごめん。星谷。時間切れ」
時差六時間で向こうはまだ昼だ。鳳は仕事の休憩時間に電話してきている。
「あ、はい。じゃあこの話はまたあとで」
電話を切って、コンロの火を止めてマグカップに味噌汁を注ぐと、テーブルに着いて星谷は夕食を食べた。
指輪は結局パリにもニューヨークにも店のあるブランドで、それぞれが自分のものを買った。
こういうときってどうするのが普通なんですか? とフランシスに相談すると、
「なにのどこが普通なのか、僕にはわからないけど」
と前置きされた上で、こうしたらどうかと提案されたのだ。
「そういう店のそういう指輪って高いんじゃ」
「君の今の年齢からすると安くはないだろうけど、払えるだろう? そこ、惜しむとこ?」
「いや、惜しみはしませんけど」
フランシスからアレックスに話が行き、彼の口利きで国を超えた二店舗間で便宜を図ってもらえた。
「なんか大事になっちゃってすみません」
「別に。私は本社社長に電話をしただけだ」
「それがすごいんですけど」
苦笑する星谷が左手の薬指にはめている新しい指輪を、アレックスはねめつけた。
「鳳はクレバーだな」
星谷のデビューを見に来たとき、アレックスは鳳と会っている。意味を測りかねて星谷は首を傾げた。最近ではアレックスともフランス語で会話する。
「鳳先輩は頭がいいですよ?」
「そうだろうが、そういう意味ではない」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
「離れている恋人に、指輪をさせることに成功している」
星谷は自分の左手を見た。
「これが目的なら、そう言えばよかったのでは?」
言ってから、納得した。鳳先輩はそういう人だ。
指輪の裏側には鳳の誕生日が刻印されている。鳳の指輪には星谷の誕生日。
指輪が届いた日、星谷がそれをはめた手の写真を送ると、鳳からも同じように手の写真が送られてきた。今それは星谷の携帯端末の待ち受け画面になっている。
「鳳先輩、指もきれいなんですよ」
見ます? とアレックスに携帯端末の画面を向けようとすると、
「結構だ」
と断られた。