天花寺翔様回
カフェにて星谷と鳳のことを説明していた月皇が、ああ、そうそう、と上着のポケットから携帯端末を取り出した。
「星谷がファン向けに配信してるチャンネルに、天花寺翔様回というのがありまして」
「天花寺翔様回」
既に情報過多でいっぱいいっぱいになっていた魚住は、とりあえず水を飲んだ。
「パリのあいつの家に遊びに行ったら必ずゲスト出演させられるんですが、何年か前、ちょっとしたことで天花寺がものすごいパッシングを受けたこと、魚住さん、覚えてます?」
「あったな、そういえば」
理由は忘れた。それくらいつまらないことだ。
「仕事を干されてマスコミに追い回されて外出もままならなくなって、天花寺は星谷のところに避難したんです」
月皇は携帯端末を操作して魚住に渡した。
音が出るのでこれも、とイヤホンも渡す。
ディスプレイに星谷がアップで移り、軽く手を振る。
仏語だが、英語の字幕が出る。
「みんな、こんにちは。元気? オレは今日も元気だよ。それから、すっごい楽しい。なぜかと言うとね。日本から友達が来てるんだ」
カメラからさっと離れると、星谷は自分のからだで隠していた二人掛けソファに座り、隣の天花寺に向けて両の手のひらを広げた。
「梨園の貴公子、天花寺翔様です! 梨園っていうのはね、中国に起源のある言葉で歌舞伎の世界のことを指すんだよ。歌舞伎は日本の伝統芸能。そう! 天花寺は歌舞伎役者なの! すごくきれいでとにかくすごいから、みんなも機会があったら絶対見てね!」
天花寺は足を組んでふんぞりかえっているが、よく見ると少しやつれている。
「それじゃあオレは、これから天花寺のいいところをみんなに伝えたいと思います」
星谷はカメラに対して真っ直ぐ座り直した。
「世界中の人に知ってほしいから、どうしたらいいか考えたんだけど、オレの周りにはいろんな国の人がいるじゃない? だからみんなに言葉を教わってきたよ。下手くそだと思うけど、聞いてね」
天花寺にはもちろん字幕が見えていない。これは打ち合わせ済みの展開なのだろうか、と魚住は考える。
「じゃあ、まずこのまま仏語!」
星谷がウインクしながら人差し指を立てて、ここで字幕が消えた。
歌うように言葉が紡がれ、やがて少し感覚を開き、次の言語が紡がれる。
一体いくつ覚えてきたのかと思うほどそれが何度も繰り返され、最初余裕で聞いていた天花寺もいつの間にか足を戻し、そわそわと星谷を見つめ始めた。
魚住は理解した。天花寺は星谷がなにを言っているのか、わかっていない。
「おい、ちょっとま」
遮ろうとした天花寺の口元に、星谷は人差し指を近づける。
黙って、という意味だ。
次は英語だった。
ようやく意味を掴めた天花寺の顔が、みるみる赤くなる。
「これが最後。日本語だよ!」
星谷は天花寺に顔を向けた。
「オレ、絶対みんなにわかってほしいんだ」
天花寺が気圧された隙に、星谷はカメラに目線を戻す。
「天花寺はカッコよくて優しくて面倒見がよくて」
「やーめーろー!」
天花寺が星谷に覆い被さったが、星谷はソファに倒れながら続ける。
「それから照れ屋!」
「やめろって!」
「天花寺はオレの最高の友達。オレは天花寺が大好き!」
「このっ、野暮助!」
あはは、と笑って星谷は再び仏語で話し出す。字幕も出る。
「みんな、じゃあね。今日はここまでだよ。見てくれてありがとう。あ、天花寺はオレの大切な友達。それは覚えておいてね!」
黙らせようとする天花寺の背中の向こうから星谷の手が振られ、動画は終わった。
「魚住さん、泣いてます?」
「うるせえ」
魚住は目元を押さえながら、携帯端末を月皇に返す。月皇は受け取りながら、ティッシュを魚住に渡した。
「俺たちもこれを見たときは、胸に来るものがありました」
最後に映った天花寺の目は潤んでいた。
「この動画には世界中から好意的なコメントがいくつもついて、やがて天花寺翔様回と呼ばれるようになったんです」
「そのまんまだな」
「そのまんまです。あ、俺の回もありますし、あとでアドレス送りますね。ほかには空閑画伯回も人気です」
「空閑画伯」
「ソファの後ろの壁に額があったでしょう。あの絵を描いた人として、視聴している人を騒然とさせた回です」
魚住はふと思いついた。
「鳳の回もあるのか」
「鳳先輩がカメラを回している回はあります」
「カメラ?」
「普段は定点カメラなんですが、鳳先輩がいるときは鳳先輩が撮っているんです。すぐわかりますよ」
「なぜ」
「星谷がものすごくいい顔をしているので」
コーヒーのおかわりが運ばれてきて、話はそこでいったん途切れた。