魚住先輩と鳳
つきあいで参加した打ち上げだった。
一次会の途中で抜けようと思っていたのに、タイミングを逃した。
カラオケ店の通路で「遅くなりそう」とメッセージを送信していると、プロデューサーがわざわざ呼びに来た。
「鳳ちゃーん。誰への連絡ー? そんなの忘れて楽しもうよー」
「あはは。楽しんでますよ?」
腰に腕をまわそうとするのをかわしながら、愛想笑いする。
一次会のときからそうだったが、下心が見え見えだ。この場では権力者なので、周囲は鳳がおとなしくしていればそれですむという空気だ。
隣に座らされて「いい店があるんだよ。ここを抜けてふたりで行こうよ」などと言うのにいいかげんうんざりしてきた頃、勢いよくドアが開いた。
熱唱していたADが大口を開けたまま固まり、カラオケの伴奏だけが大音量で流れ続ける。
薄暗い室内から見て逆光となり、浮かび上がったシルエットが鳳に近づいてきた。
「帰るぞ、鳳」
鳳の肘が掴まれ引っ張られたので、肩を抱いていたプロデューサーはバランスを崩した。
魚住朝喜だ。と誰かがつぶやく。
「ううう、魚住くん?」
「すみません。こいつ、明日の朝早いのでこれで失礼します」
では、と鳳を立たせた魚住は、有無を言わさない凄まじい迫力で一礼した。
「ばかやろう! あのプロデューサーはたちが悪いので有名なんだ! のこのこついていくやつがあるか!」
コインパーキングに止めた車に乗るや否や魚住に怒鳴られた鳳は、いやまだみんないる二次会だし、ついていってないし、とは言わずにっこり笑った。
「どうして魚住先輩がここに?」
「あそこにいたメイク担当と親しいんだよ。おまえが俺の後輩だと知っていて、連絡をくれた」
車を発進させた魚住に、送ってくれるんですか? と鳳が問う。
「酔っ払いばかりの電車に乗せて、変なのに絡まれても困る」
「俺は成人男性ですよ」
「セクハラされてたヤツがなにを言う」
業界内のことならば、鳳にはいざとなれば絶大な力を持つ「おじいさま」という秘伝の宝刀があるので、ある程度鷹揚に構えているところもある。とはいえ、あまり使いたい手でもない。
「困ってたんで助かりました。虫除けになるかと指輪をしてみたこともあるんですけど、なぜかかえって誘われるようになってやめたんですよね」
せっかく買ってもらったのに。
と呟いたところで、交差点の信号が赤になった。
「え?」
ハンドルを持ったまま、魚住が助手席の鳳の顔を見た。
「おまえ、そんな相手がいるのか!」
「え? ほ」
言いかけて鳳はゆっくりまばたきし、一度口を閉じてからにっこり笑った。
「俺の恋人に会っていきます?」
「こっ……!」
魚住は絶句した。
「家にいるから挨拶させますよ? あ、信号青になりました。大丈夫です? 運転、代わりましょうか?」
「おまえ、飲んでるだろうが!」
そうでした、と鳳は首をすくめた。
鳳の住まいは学生時代に暮らしていたマンションだった。
開錠して玄関のドアを鳳が開けると、軽やかなスリッパの足音が近づいてきた。
「先輩。早かったんですね。って、あれ?」
目を丸くしたのは魚住だ。
出て来たのは星谷だった。白いTシャツにスウェットのズボンの部屋着姿だ。
「魚住さん! お久しぶりです!」
「お、おう」
魚住が星谷に会うのは何年ぶりだろう。主に海外で活躍する星谷はほとんど日本にいない。それは鳳も同じだ。今は数ヶ月日本での仕事を請け負っているにすぎない。
「星谷。魚住先輩に助けてもらったんだ。お茶出して」
鳳は星谷の横を通り過ぎざま、さっと唇を合わせていった。魚住は驚きすぎて、最早自分がなにに対して驚いているのかわからなくなった。
星谷は靴箱から客用スリッパを出した。
「どうぞ。ちらかってますけど」
靴を脱がない魚住に首を傾げる。
少年のような闊達さは残ったまま、順調に積み重ねているキャリアがいい具合に落ち着きとなっている。
こんな状況でなければ、大人になったなあ、と言っているところだ。
「どうかしました?」
とりあえず最低限すっきりしないと落ち着かないので、魚住は思い切って訊ねた。
「おまえたち、付き合っているのか?」
「え? はい」
「いつからだ」
「オレが高三の夏ですけど」
「そんな前か! いや、それよりおまえ、卒業してすぐ日本を出ただろ。鳳も同じ時期に渡米したよな」
「そうですけど。あれ? もしかして魚住さん、知らなかったですか? 海斗か遥斗さんから聞いてません?」
「聞いてないっ!」
あらら、と星谷はまるで鳳のように笑った。
「仮住まいなんで足りてないものも多いですけど、お茶は天花寺からもらったいいのがあるんですよ」
魚住をダイニングテーブルに着かせて、星谷は対面キッチンでお茶を煎れた。鳳は魚住の前に座ってペットボトルの水を飲んでいる。
「知り合いには隠していないので、魚住さんも知っていると思ってました。あ、オレ、今オフなんで先輩にくっついて来たんですけどね」
茶托に乗せた湯呑みが魚住の前に置かれた。
「おまえ、確か今、鳳と住んでる国違うよな」
「オレは綾薙卒業してからずっとパリ住みです」
魚住は鳳に視線を向ける。
「おまえはニューヨークだろう。どうやってつきあってるんだ」
「話だけなら回線があればできるし、こういう感じでどちらかが空いた時間に合わせるって感じで」
簡単に言うが、それだけで何年も関係を維持するのは難しいはずだ。
魚住と顔を合わせていた鳳が突然吹き出した。
「すみません。思い出したらおかしくなってきちゃった」
鳳は隣に座った星谷の肩に手を置いて、もたれるようにして笑い続ける。
「聞いてよ、星谷。俺を助けに現れた魚住先輩。娘に悪い虫がつかないか心配するお父さんみたいだったんだから」
げらげら笑う鳳を星谷が嗜める。
「先輩。失礼ですよ」
「だってさあ」
星谷の肩に額をつけて背中を振るわせる。
「先輩。酔いがまわってきてるでしょ。もうお風呂入って寝ましょう」
「あー、うん。一緒に入る?」
「オレはもうすませてます」
「いいじゃん。もう一回入ろうよ」
「先輩。魚住さんが困ってます」
星谷に押されて鳳は席を立った。
「鳳よりおまえのほうがしっかりしてるな」
そんなことはないんですけど、と笑う星谷の左手の薬指に指輪があることに魚住は気づいた。
ああ、これ、と星谷が手を掲げる。
「オレはこれしてたら誘われないんですけど、先輩はなんでか余計にしつこくされるんですよね」
「まあ、なんとなくわかる」
鳳は華やかで、その分軽く見えるのだろう。
「なので今日は本当にありがとうございました。たぶんしばらく、魚住さんは鳳先輩と付き合ってるってことになると思いますけど」
魚住の表情を見て、星谷は笑った。
「なりますよ、それは。だって王子様の窮地を救いに来たナイトじゃないですか」
「そうか。いや、逆にすまない。余計なことをした」
「そんなことないです。噂はもっと適当なのをいっぱい聞くから、オレは平気です」
ああ、なるほど、と魚住は合点した。
鳳は星谷を安心させるために、魚住を部屋に招いたのだ。事情を悟らせて、明日からの噂に星谷が傷つかないように。
魚住はさらにはっとなった。
「そうか! さっきの突然の爆笑も、場をなごませようとういう鳳なりの気遣い」
星谷は気の毒そうに魚住を見た。
「あれは本当に面白かったんだと思います。涙流して笑ってましたから」
鳳がどういう人間か思い出した魚住に、すみません、と星谷が謝った。