抱きしめたい
天花寺が袱紗のなかから取り出した大きな祝儀袋に、鳳は若干引いた。
「このたびはご結婚おめでとうございます」
「う……」
ホテル一階のコーヒーラウンジで人目を引くやり取りは避けたく、言葉を詰まらせる。
「ほら、さっさと受け取れってんだ、野暮助」
「こういうのはご遠慮するって星谷は言わなかった?」
「知るか。俺はこういうことはちゃんとしないと気持ち悪い性分なんだ」
梨園の貴公子天花寺翔様と、仮に名を知らなくても華やかな容姿のミュージカル俳優がオープンな席で向かい合って座っているのだから、必然的に目立つ。
鳳は仕方なく祝儀袋を受け取った。
「大体月皇先輩からも貰ったんだろ。俺様のが拒否られる理由がわからねえ」
「月皇先輩のは半分冗談だけど、天花寺のはガチだろ」
「当たり前だ。せっかくMS組同窓生一同が祝いの席を設けてやったのにあんたは来ないし、星谷は先輩が嫌がるからご祝儀は受け取れないとか言うし」
「ほんとに嫌なんだよね、こういうの」
「けじめだ。あんたもそろそろ大人になれ」
祝儀袋を鞄に入れると、鳳はテーブルに片肘をついた。
「天花寺は立派な大人になったよね」
「あんたに比べたらたいていの人間は立派な大人だぞ」
だよね、と鳳が笑うと天花寺は顔をしかめ、なにか言いかけて腕時計を見て腰を浮かす。
「時間だから行く」
「相変わらず忙しいね。なにか言おうとしなかった?」
「どうせ聞く気ないだろ」
頭を振った天花寺が伝票を取ろうとするのを、鳳が先に掴んだ。
「ここは先輩の顔を立てさせてよ」
天花寺は鳳を見下ろす形で見てから、もう一度坐り直した。
「行かないの?」
「思い出したから、これ言ってから行く」
少し残っていた冷めたコーヒーを一口飲む。
「星谷がいつかあんたとミュージカル劇団を立ち上げたいと言っていた」
鳳は目を見開いた。
「初めて聞いた」
「オレが勝手に思ってるだけって言ってたからな」
役者としてだけではなく、自分の思うステージを作り上げたいと鳳はずっと考えているが、柊一族の人間としていずれ綾薙学園や劇団の運営に関わることが約束されている立場でもあり、新たに劇団を立ち上げるという発想がなかった。
「そんときは俺も客演くらいしてやってもいいぜ」
カップを置いて天花寺は、視界が一気に広がった感覚に襲われている鳳を置いて去った。
この感覚には覚えがある。
ミュージカル学科の入科オーディションで、星谷が誰にも見せたことのないはずの自分のダンスを踊ったときと同じだ。
鳳は声を上げて笑いそうになった。いや、違う。歌いたい。ステップを踏みたい。
地下駐車場に車を停めてあった。月皇遥斗の車に触発されて星谷が買ったものだ。
急いで立ち上がり、伝票を忘れそうになり戻って掴む。
車を走らせて高速に乗って窓を閉め切れば、思い切り歌える。
自分の劇団。自分たちの劇団。
それを持つことは簡単ではないだろうが、なんという無限の可能性だろう。
次の公演の稽古日だった星谷は、休憩に入ってから携帯端末に入った鳳からのメッセージに気がついた。
今すぐおまえを抱きしめたいよ。星谷。
首筋を伝わる汗をタオルで拭きながら星谷は微笑んだ。
「なんだろ? いいことでもあったのかな?」
返信のメッセージを送った。
じゃあ、帰ったらオレも鳳先輩のことぎゅってしますね。